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偉大なる日常

皆さんおはようございます。

今日は8月20日
ようやくお盆の夏休みも先週で終わりをつげ、いつもの日常が戻りつつあります。
毎回言いますが、私は国民の大半が休むような
正月休み、お盆の休暇が嫌いです。
私の我儘で日常のペースを崩されるのが嫌なだけでしょうが。

ところでようやく異常な暑さが終わりを告げた様です。
四季と言うものとても有りがたい。
これが赤道に近いフィリピンなど南方の国ではほぼ一年を通して「夏」
これでは生産意欲も労働意欲もわきません。
人間のみならず、影響は車にも及び、
特に当社が手掛ける1970年台の車には、
夏の30度以上の暑さは応えます。
今から50年ほど前は、今とは全然異なるくらい車の量が少なかったのです。
なので、渋滞も無い、
スムーズに道路を走れる=水温も上がらない

例えばディノ
この車はコンベンショナルなフロントエンジンでは無く
リヤーにエンジンを横向きに搭載。
ラジエターはフロントのインテークグリルの奥に位置するから
当然エンジンから前方のラジエターまでクーラント(冷却水)を
循環させなければならない。
これが意外と難しいのです。
エンジンから圧力をかけてウオーターヘッドを巡ってきた
クーラントを前方のラジエターまでどうやって送るのか?
皆さんご存知ですか?
何もしないでもクーラントが流れる訳ではありません。
エンジンにはちゃんと、ウオーターポンプと言うものが付いているのです。
それをエンジンからの動力でディノの場合、ベルトでポンプを回し
ミウラはギヤーで回します。
ところがフロントエンジンとは違い、ミッドシップの場合
どうしても前後を繋げるホースが必要になる。
長さは約2メートル、
往復するわけなので、2本が必要
それが何処を通るのか知っていますか?
ディの場合、センターのメインフレームの中!!
直径10センチの半円形の筒の中を2本のゴムホースが通ります。
かなりぎゅうぎゅう。
しかも其処を通過するクーラントの温度は?
調子の良いディノで「90度」
外気温が30度を超えていて東京の混んだ道など走れば
簡単に100度近くなる。
カップヌードルに使える温度です。
そのメインフレームは屋内から見たら何処?
ディの場合、シフトゲートがあるセンターの盛り上がり
そこの真下です。
だから夏場、その辺りは非常に熱を持つ
シフトゲートなど触れないくらい。
当然ラジエターファンも回りっぱなし
けれど、この車が作られた1970年頃そんなに水温を気にする
ような道路状況、また夏場の気温も今ほどでは無かった
地球温暖化、大都市のビルの乱立それに伴うエアコンの熱の大気への放出
勿論大量の自動車の増加、それらの熱源の大気への放出

どうやら人間は安易に快適さを求めて地球と言う星の寿命を
自らちじめているようです。
それが昔の時代の道具、車を見ることで良くわかります。
ビンテージカーを持つということは、その時代を共有することと同じ
私がつねずね言うのはそういう意味です。

夏の帰省

皆さんおはようございます。

今日は8月14日。
つまり暦では「お盆」です。
なので帰省の人達は、渋滞覚悟で家族を乗せて走ります。
田舎がある人は懐かしい原風景や、
久しく顔を見てなかった親族の笑顔があることでしょう。
つまり目的地には、満足が待っていると。

ところがひとたび
この地球という星に視点を置き変えると。。
住んでいた町や住んでいた地域、
その国を追われて避難するしか無い人々が何百万人もおります。

最近では耳に新しい パレスチナ難民
過去ではユダヤ難民やスペイン難民。
アジアではベトナム戦争時の難民など
枚挙に問えません。
ちなみに現在も続くパレスチナ難民の場合、その数はなんと500万人
ほぼ大阪の全人口に匹敵します。
彼らはユダヤ人の数回に渡る入植の結果、住んでいた家や町を追い出され
隣国ヨルダンに逃れ、粗末なテント暮らしを余儀なくされています。
言うまでもなく、ユダヤ人の歴史を振り返ると、
2000年前に祖国をアラブ人たちに追い出され、
その後、世界を放浪して国を持たない豊かな民族と言われました。
有名な人では 物理学の天才 アインシュタイン博士
アメリカでは 元国務長官であった キッシンジャー氏
映画監督の スピルバーグ氏 など。

商売に長けるとは、
やはり豊かな才能を持った人が多かったという事でしょう。
そんな彼らですから、第2次大戦後、国連で自前の国家建設を認められると
「イスラエル」という名前で強烈に国を作り上げました。
そんな知恵も、金力もある彼らに元々遊牧民のような先祖の
アラブ人(パレスチナ人)が太刀打ちできる筈がありません。
その後、数度の中東戦争と言う名で戦いを仕掛けますが
ことごとく負け、現在に至っています。
特に公言はしていませんが、
イスラエルは既に核爆弾も自前で所有しています。

ここで考えなければならない事。
皆さんもよくご存じの通り、ナチスドイツの迫害で彼らは強制収容所に送られ
実に600万人もの犠牲者を出しました。 (横浜市の人口は376万人)
比べるのは非常識かも知れませんが、
広島や長崎の原爆で亡くなった方々の総数、約46万人の13倍もの数字です。
だから第2次大戦後、世界はユダヤ人が自前の国家を作るのを
同情して応援した?
ところが、ユダヤ人たちはあっという間に世界中からお金も能力もある
同胞たちを呼び寄せ、強力な国を作ってしまった。
中東戦争でイスラエルが圧倒的に勝利した理由は
豊富な資金力に任せて欧米特にアメリカから購入した強力な武器だと言わています。

その結果、追い出したアラブ人の数は奇しくも600万人
人間というものは、いざチカラを得ると他人(他民族、他国)の事などどうでも良い
これの典型だとは思いませんか?

この記事を書く理由。
それは冒頭でも記した様に、我々日本人はお盆の移動でも
その先には目的があるし、またそれが終われば帰る場所もある
これほど平和で幸せな事は無いだろうと、、、、
それを歴史を振り返りながら考えるべきだと。
そういう思いです。
「平和とは、常日頃の努力によってのみ維持される」
これを座右の銘としておきたいと思います。




文民統制とはなんだ?

皆さんおはようございます。

今日は「8月9日」
長崎に人類史上2発目の原爆が投下された日。(今年で73年が経ちました。)

今回NHKのBS放送、原爆投下の特集番組を見て私は改めて驚きました。
当時のアメリカ大統領は「トゥルーマン」
当然アメリカ軍の最高司令官でありました。
ところがこの原爆開発計画に
投下の2年前位からGOサインを出していたのは、
先代の大統領「ルーズベルト」

投下の2か月前にルーズベルトが急死した為、
副大統領であったトゥルーマンが急遽繰り上がったのです。
なので軍部が極秘で太平洋の小島「テニアン島」で(元日本軍の占領地)
原爆の製造工場を作り、全米から専門の科学者を呼び寄せ
滑走路をB29に対応するよう拡張し、
核爆弾の専用基地として着々と準備をしていたことを、
大統領として就任直後は全く知らなかった。
ただ、その頃軍部は日本の多数の都市に焼夷弾を中心とする爆撃を行い
皆さんご存知のように、東京をはじめとする大都市も壊滅状態でした。
けれどアメリカ軍部は、莫大な費用をかけて開発した「原子爆弾」を
その効果、威力も残せないまま使わずに日本が降伏しては都合が悪い
そう考えて、トゥルーマンに強硬に原爆投下を進言しました。

最初にこの計画を聞かされた時、
トゥルーマンは”目標は軍事施設に限る”と答えました。
ところが、計画責任者のグローブス は最大の劇場型効果が得られると
日本の古都、「京都」を一発目の投下地にしたいと強硬に押しました。
ホワイトハウスに6回も訪れて、京都には軍事施設も多くあると言ったそうです。
その後、グローブスは陸軍長官のスティムソンに呼び出され
京都を目標から外すように言われました。
スティムソンは2度の京都訪問の経験があり
多くの歴史的価値の高い神社、仏閣のある京都を承認しませんでした。
この経緯は私も初めて知りましたが、
もし京都に原爆が落とされていたら・・・
と考えると日本の古都は完全に壊滅状態だったでしょう。
だからと言って、広島や長崎が正当化される訳はありませんが、
歴史の「もしも」という事を考えると、人類はどこまでバカなのかという気がします。

投下地点の候補は、東京も含み全国15ケ所もありました。
アメリカ軍部の特別秘密基地である、テニアン島には米本土から
特別に訓練を受けた、B29の搭乗員を含め多数の技術者が存在しておりました。
彼らに与えられた「命令」 
それは17個の原爆を作り出来次第、順次日本に投下せよ・・・
この時、グローブスの頭には日本を壊滅させるという考えしかなかったのでしょう。
トゥルーマンが広島、長崎の投下直後の航空写真を見せられ、
自身の日記に投下を黙認したのを後悔すると記しています。
その直後、トゥルーマンは全閣僚をホワイトハウスに集め
人道的にこれ以上の原爆投下は中止すると宣言しました。
3発目の原爆投下を準備していたグローブスも従わざるを得ず、
日本はそれ以上の核爆弾による被害を免れました。
もし、トゥルーマンがこの決断をしていなかったら?
そう考えると人間の愚かさ、決断の意義、そのタイミングの重要さが解ります。

ここで考えなければならないこと。
それは世界のほぼ何処の国にもある「軍部、そこに所属する軍人」
彼らの存在意義は?
他国を攻撃して、相手を抹殺すること
その方法は、それこそ槍でも鉄砲でも大砲でもなんでもよし
その究極が「核爆弾」でしょう。
今この地球上には「核爆弾」と言われるものが 14,450発あるとされています。
皆さんご存知のように、戦後改良が続けられ
今の水爆などは広島型の数百倍もの威力があると言われます。

それを統制するのは?
文明国では「文民統制」 英語では シビリアンコントロール
理由は軍部の独走を抑えるため。
でも考えて下さい、北朝鮮は? パキスタンは?
完全に安全をコントロールされていますか?
これが現代の危うい状態に暮らす我々「地球人類」の構図です。
核戦争さえ防げばよいのか?
それは違うでしょう。
人は竹やりでもナイフでも相手を殺せます。
つまり戦争、戦(いくさ)を止めなければ人類には永久に平和は訪れない
これを実感する今日この頃です。

文責 鞍 和彦

親父は20歳で赤紙徴兵され、陸軍の兵隊として初めは中国、
最後はフィリピンで10年に渡る兵役をこなして、なんとか生き延びた。
子供の頃、親父が晩酌をする度に戦場での話を聞かされた。
初めはウザい話と思っていたが、
今となれば親父の失われた20代を象徴するもの、
それが「戦争」 と言う事に改めて気付かされる。



初めてギブリを走らせた。

皆さんおはようございます。

この猛暑で、私も身体に影響が来ています。
西日本の被災地の皆さんの
嫌でも炎天下で作業しなければならない状況を思うと、
本当に頭が下がる思いです。
昨日もコンビニから寄付をさせて頂きました。

さて、私の長い車屋人生の中で幾つか忘れられない経験があります。
その一つが生まれて初めて運転したマセラーティです。
時は1974年、今から44年前。
私は23歳
シーサイドモーターに入社して4か月目です。

そのギブリは塗装が終わったばかりのピカピカのオリーブグリーンのメタリック
私は嫌な事は直ぐに自分の記憶から消す癖がありますが、
自分にとってメモリアルな事は40年前でも昨日のことのように覚えています。
重たいアクセルを踏むとV型8気筒の4700ccを持つエンジンは、
長いマフラーのテールエンドから、独特の低い排気音を響かせました。
シフトの位置を確かめて1速にエンゲージします。
コクッと言う感じでしっかりと入りました。
長いノーズをガレージから前の国道に出すと
私はアクセルを踏み込みました。
低速回転からトルクのあるこのエンジンは、
ゴオッーという感じで加速していきます。
かなりの感激でした。
すかさず2速にシフトアップしても同じように加速感が続きます。
マセラーティはこんな風に加速するのか
これがファーストインプレッション。
その後、経験を積み、フェラーリとの違いが解ると
マセラティは低速トルクを重視、なので半面高回転では苦しくなる
約5000回転以上
ところが当時フェラーリのフラッグシップであった
365BTB/4 ディトナ
こいつは少し低回転ではトルクが弱いものの3000回転以上、
特に4000回転を超えてからはレッドが始まる
7000回転まで、まるで何の抵抗も無いが如く
綺麗に、かつパワフルに吹き上がります。
ここがレースシーンからのキャリアを生産車にフィードバックするフェラーリと
あくまでゴージャスなラグジュアリースポーツカーを目指した
マセラーティとのメーカーのコンセプトの違いが表れているなと。

また、ランボルギーニは12気筒のマセラーティ版というイメージ
400GTからエスパーダ、ヤラマ全てそう、
但し唯一の例外が12気筒を横置きに積んだ ミウラ
これは前期と同じエンジン形式のタイプとはまるで違う
フィールコンプレッション、フライホイール、カムの形状 キャブレター
など数々の改良があったと思いますが
その前の縦置きにした12気筒とはまるで別物
低速からトルクがあるし、7000回転位のトップエンドまで
シンボルの闘牛のように豪快に突進する様は、
世界のスポ―ツカーエンスージャストの間に評判になり
高い評価を得ました。
私個人的にはフェラーリのエンジンよりミウラのエンジンの方が好みです。
より詳しい解説は、当社のHP の「動画への誘い」に
このギブリが出ていますので、ご覧ください。

ではまたミウラなどのスポーツカーとの出会いを紹介したいと思います。

追伸
マングスタがはるばる太平洋を渡り日本の地を踏みました。
これから徹底的に仕上げます。
車は10年前にアメリカの大手スーパーマーケットチェーンの会長が
趣味でレストアさせて、そのままガレージにしまいこんでいた個体です。
これからキャステル仕様で「生きた」車に仕上げるつもりです。
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詳しい画像はこちを参照

ギブリとの出会い

皆さんおはようございます。

前回、マセラティのギブリとの出会い、
そして初ドライブの瞬間がやって来たところまででした。
今でもそうですが、
運転したことの無い車に初めて乗ってエンジンをかける瞬間は、
慣れている私でも「ドキドキ」します。
どんなエンジン音か? 特に昔のキャブ車ではスムーズにふけあがるのか? など。
勿論、足車で毎回ドキドキしていては仕事に差し支えます。
なので何の心配も無く、同じように始動する
日本車などがベストです。
私は少し拘りがあってベンツに乗っておりますが。

このシーサイドモーターに入社する前、
私のドライビングスキルは”ホンダのN360”という軽自動車に始まり、
”ホンダ77 クーペ”その次が”トヨタの初代のセリカ1600GT”
ここまでは親のすね。
少し間を置いて買ったのが”ホンダ Z360” という軽自動車
リヤーウインドウが「水中眼鏡」のようなデザインのこの車は
何故か気に入って2台も乗りました。
そんな車で制限速度80キロの第三京浜道路を
私はアクセルペダルを床まで踏みつけて
100キロで走りました。

マセラーティ ギブリの初期型でも4700cc
後期型は 4900ccです。
フェラーリと比べるとエンジンがV型8気筒のせいか
トルク重視で、わりともっさりとした吹け上がり。
同時期、フェラーリは 365BTB/4  通称ディトナでしたが
フェラーリがレーシングエンジンとしたら、
マセラーティは気品はあるが角を隠した乗用車ぽい感覚。
ディトナが機能優先でダッシュボードも「布張り」だったのに対して
ギブリはメーターパネルからとにかく全部革張り
長屋育ちの私にどちらが「贅沢な車」に見えたかは言うまでもないでしょう

そう言うわけでガソリンを入れてくるよう命じられた私は、
興奮を抑えるように平然とした顔を装って
ドライバースイートに収まり、まずはクラッチを踏んでみました。
ペダルに張られたゴムは大きくストロークもかなりあります。
おまけにけっこう反力が強く重たい。
アクセルペダルも結構重い。
私は「大丈夫か? 本当に動かせるのか?」
と不安になりました。

おまけにかなり低いドライバーシートに座ると
ダッシュボードが高く、前がよく見えません。
おまけにギブリは超ロングノーズ
慣れない私にとって、最高に難しい車でした。
そうはいっても、トロトロしているわけにはいきません。
私は覚悟を決めて、小さいイグニッションキーをひねりました。
それはステアリングコラムでは無く、ダッシュボードに付いていました。
重たいセルが回ると、同じく重たいエンジン音がして
火が入りました。
低い独特のサウンドです。

続く




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Castelauto

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