DETOMASO MANGUSTA

皆さんおはようございます。

久しぶりの海外出張で今回も長いフライトでした。
私にとっては当たり前のやり方ですが、
海外から車を買う場合、必ず現地に赴き現車の確認、視認、また試乗を行います。
よく素人が、ウェブで現車も見ずに買うなんてことがありますが、
私のようなプロの場合、100万とかの車なら別ですが、
何千万となると失敗は許されません。
そこが根本的にプロとアマチュアとの違いです。
前回のブログでも書きましたが、
プロにしかできない事、プロだから出来る事
そこに拘りを持つことが一流のプロの証です。

さて今回の車は”デトマソ マングスタ”
1969年のスポーツカーです。
このデトマソというメーカー、意外に私とも繋がりがあり
そもそも私が在籍していた「シーサイドモーター」が当時デトマソの代理店でした。
なので、マングスタは1台しか見ていませんが、
その次のモデル パンテラは、かなりの数を輸入販売しました。
変わったところでは、デトマソ ドービル、ロンシャンなど。

そもそも私がこの手のイタリア製スポーツカーに興味を持ったキッカケ
それがこの”マングスタ”でした。
私がまだ学生の頃、
親父に買ってもらった「トヨタ セリカ」で都内をうろついていた時、
五反田のある外車屋の屋外展示場に、
その車はベンツなどと混じってポツンと置いてありました。
色は赤、物凄く低くて車体はぺったんこ
思わず私は道端に車を停めて、車を覗きに行きました。
勿論、知識は無いから、何ていう車か皆目見当もつきません。
けれど10数分眺めていて、私は日本にもこんな車が存在しているんだ
と、ある意味感銘を受けました。

時は1972年頃
当時のスポーツカーと言えば、ポルシェ、あるいはロータス
まだフェラーリやランボルギーニは全く知名度も無く、
現車を見る事すらありませんでした。
1969年から1971年にかけて400台が生産されたこの車は
現存するのが、約200台と言われるレアな車です。
mangusta_7.jpg
mangusuta-1.jpg
mangusta_2.jpg
mangusta_3.jpg
mangusta_4.jpg
mangusta_6.jpg
mangusta_8.jpg
mangusta_9.jpg


画像を見るにはここをクリック

mangusta_4.jpg

先程も言いましたが、私が一目でとりこになったこの車は
今の職業に入るキッカケを与えてくれた車。
その意味も含めて今回は当社のストックとして購入することにしました。
現車はアメリカの東部にあるので日本に到着するまでは
暫く時間がかかりますが、それも楽しみの一つです。
勿論、現車は上の画像の物とは違います。
私が見てフルレストアであると判断しました。
当社も忙しいので、半分私の趣味のような車に時間を費やす暇がありません。
但し、当社が車屋である以上、販売車両です。

ご興味をお持ちの方は、
当社フロントまでご連絡下さい。
045-663-4660 しのもとまで。
日本への到着予定は7月の末頃です。



プロはプロらしく、それが当たり前。

皆さんおはようございます。

私は横浜の住民ですから当然、地元ベイスターズの応援をします。
個人的には職人肌の「梶谷」が好きです。
それは良いとして、最近の交流戦を見ていても
パリーグの打者に対してベイスターズの投手の弱い事。
何か、高校野球とプロの違いみたいです。
まず、”気迫が無い”
もう投げる前から打たれそうな予感がする。

最近の横浜球場は毎試合、ほぼ満員。
それだけファンが増え、「今日は勝ってくれるだろう」との期待を込めて
球場に足を運び、けして安くない入場料を払って観戦するわけです。
と言う事は、
其処に出ている選手たちはプロとしてサラリーマンの数倍、数十倍の
サラリーを貰っている。
だったら何を為すべきか?
答えは決まっていますよね。
観客を沸かせる、或いは満足させるプレイをグラウンドでする。
つまり与えられた職場で全力でプレイする。
下手な奴なら、何回もファールして粘って相手投手をバテさせる。
そう言う意味の「気迫」です。
それがベイスターズの場合、他球団と、
特にパリーグと比べると、かなり足りない。
ラミレス監督自体、表情を表に出さないタイプ
選手もなんか「泥臭さ」が無い
だから見ていてイライラしてくる。

話は戻ります。
プロとは?
結論から言うと、お客様を満足させて金を貰う仕事
バッターなら、チャンスにタイムリーヒット、あるいはホームランを打つこと
ピッチャーなら見ている方が気持ちよくなる三振を奪うこと。
ならば、私の職業、車屋は?
お客様が満足する車を提供すること。
これは簡単に聞こえて深い意味があります。
何故なら、新車あるいは新車に近い車なら
個体差も少ないし、車もヘタっていない
けれど40年、それ以上経っていたら?
その間の扱い方、整備にもよりますが、
くたびれていて当然。

キャステルが得意とする「ディノ」
これなど1968年から1974年の生産
1970年として48年前。
その頃の日本車を今時、街で見かけますか?
それを当時の新車同様に「再生」する
これが出来るのがプロというわけ。

私の車屋の「キャリア」は44年。(1974年4月から)
誰も真似は出来ません。
だからこそ私は一流のプロでありたい。
それも世界のトップレベルの超一流として。
フェラーリで言えば、
206、246 ディノ
デイトナ
ボクサーの各シリーズ
ランボルギーニで言えば
ミウラ
カウンタック LP400
など
世界のトップレベルに相応しい車を作り続けています。
もう一つ言えば、車屋のプロであるのは当たり前
人生のプロでもありたい、そう思います。
是非、車、人生、含めて相談して下さい。
あなたにとって最良のアドバイスを致します。

今日から5日間、アメリカのシカゴに向かいます。
何を見てくるのかはお楽しみ。
戻って商談が成立したら報告します。

最近、珍しい所ではウラッコを売りました。
urraco 2018-1

キャステルオート
鞍 和彦


365BB の日本上陸1号車

皆さんおはようございます。

前回まで365BBが始めて日本の土を踏み、
シーサイドモーターのショールームに入ったところまででした。
この車は生産の僅か3年ほどの間に数々のマイナーチェンジを行った
フェラーリにしては珍しいモデルです。
やはりその前のモデル、365GTB/4 デイトナとは全く違うレイアウトの
車だったので、フェラーリとしても迷いがあったのでしょう。
今さらですが、
デイトナとは何が違ったのか?

1、フェラーリ社として初めて12気筒をミッドシップにレイアウトした。

2、ボディデザインをそれまでの物と根本的に違い
空力を最重点に仕上げた。

3、メーターディスプレイもそれまでのアナログからデジタルに改め
モダーンに進化させた。

4、ドライブフィールを向上させるため、ドライバーのポジションを
ほぼセンターに置き、操安性も向上させた。

5、あまり知られていない事だが、ブレーキの性能を向上させ
デイトナでは致命的に悪かったブレーキの効きを劇的に進化させた。
その他、細かい事をあげたらきりがない。

と言う訳で、私の「BB初体験」は
昼間ではなく暗くなった夜の時間だった。
ショールームから外に押して出すと
ダークブルーの365BBは一層小さく見えた。
私は運転席に座り、イグニッションをオンにした。
すると他の車では無い、
キーンという少し耳障りな電子音みたいなものが聞こえた。
これはエンジンルームの運転席との壁に付く、大きなマレリのトランジスターの
音だと後で判明した。

よくあるフェールポンプの音ではない。
おもむろにキーをひねりセルモーターを回してみた。
グルグルとセルは回っているが、一向にかかる気配が無い
私はキーを一旦オフにして、セオリー通りにアクセルを大きく3~4回
ストロークしてみた。
もう一度セルを回す
すると数秒後にボワッとかかりそうな気配
ところが初核はあるものの続かない
そのボワッと言うのを5回くらい繰り返してようやくエンジンが回り始めた。
BBの名誉のために付け加えると、現在当社にあるブルーの365BBは
10日ほど放置しておいてもセル一発で始動する。
BBの始動は気難しいというのは、かなり個体差があるのだ。
そのまま暖気をする。
普通なら3~4分2000回転を保ち、それからレーシング
(アクセルを煽ってエンジンにガスを送る奴)
をすれば大概は素直に回転を上げてくる
ところがこいつは、2500回転位でウッと息付きをし、
綺麗に上がっていかない。
私はこれが水平対向の特徴なのかと思った。
比べて、デイトナは恐ろしいほどスムーズにふけあがっていく。
となりに座った松崎さんも
「なんだこいつは調子悪いな、、、、」
とぶつぶつ言い始めた。

続きは次回

BB, ベルリネッタ ボクサーは もうビンテージか?

皆さんおはようございます。
365bb-7a_201806011540139a2.jpg

私はこのフェラーリ初のミッドシップ12気筒を積んだ「BB」には
かなり大きな思い入れがあります。
私がシーサイドモーターに入社したのが、1974年の4月
そして日本に始めて顔を見せた「365BB」が横浜に到着したのが
1975年の4月
その頃私は念願が叶って2階の工場から1階のショールームに転属され
毎日ワクワクと朝から夜まで車を磨いておりました。
何しろ車好きにとっては夢のような職場
今みたいに、何処の中古屋に行ってもフェラーリやランボルが置いてある時代では
ありません。
しかも相手は世界の最高級のスポーツカーと言われる フェラーリ、ランボルギーニ
マセラーティ 各ラインナップ。
それらが綺麗なイタリアンタイルを敷き詰めたショールームに並んでいるのだから
これ以上望むことはありませんでした。
私の記憶では、フェラーリは
365GTB/4 ディトナ
246GT ディノ
330GTC
365GT 2+2 など。
ランボルギーニは
ミウラ
エスパーダ
ヤラマ
ウラッコ
シルエット
マセラーティは
ギブリ
インディ
カムシン
ボーラ
メラック など
名前を挙げただけでもそうそうたるラインナップ
これに加えて
カウンタック LP400
365BB それぞれの新車が加わるわけです。
当時の子供たちが一目見たさにショールームに群がるのも無理はありません。
余談ですが、元中日のピッチャーで中年の星と言われた
山本 昌さんも小学生の頃実家が本牧だったので、チャリンコに乗って
シーサイドまで車を見に来ていたそうです。
今彼はミウラを持っているのは有名ですよね。

話しは戻ります。
この365BBは同時に2台の新車が日本に入ってきました。
通関は東京の大井ふ頭でした。
ボディカラーが 定番の赤と、もう一台はダークブルーでした。
赤のBBは私とも親しくしていただいた、東京葛飾の 「市川 人世さん」
が購入なされたので、そのまま東京にあったのですが
ブルーの方はシーサイドに回送されました。
なので私が初めてBBを見たのは、1975年の4月頃
用事で外出していた私が会社に戻ると
時間は夜の6時頃
そのBBはショールームの入り口に入れられて
静かに佇んでおりました。
照明が当たったBBはダークブルーの塗装とも相まって
何か近未来のデザインの様に見えました。
その前のモデル、大きくラジエターのインテークが開いた
歴代の12気筒シリーズと比べると
はるかに小柄で、モダーンなデザイン
かなり軽いドアーを開けてコクピットに乗り込むと
メーター類が全部デジタルでしかもメーター自身の照明が「オレンジ」
その前身のディトナはアナログのぼんやりとしたランプでしたので
かなり衝撃でした。
しかもディトナと違い、ドライビングポジションがかなり前になっていて
そのせいかフロントガラスが近く、172センチの私でも頭がガラスの上部に当たりそうでした。
私は最初違和感を覚えましたが、その後走らせるとむしろ
フロント周りの左右が見やすく、スポーツドライビングには適しているなと分かりました。
比べて、ディトナは低いシートポジションからはノーズの先は見えなくて
言わば長いノーズの車を後ろに座って運転すると言う感じ
なので狭いコーナーではステアリングの切り方がかなり早めでないと
慌てるという感じ。
BBは その真逆で常にドライバーの目線からフロントのタイヤホイールの動きが見やすいと
その違いがかなりはっきりと出ておりました。

勿論まだ新米の私にすぐ運転の機会が与えられるわけでなく、
社長 己晴さんに走らせても良いですか? と機会を伺っておりました。
何しろまだ日本に2台しかない貴重な車、
しかも新車、
当時の販売価格は 1850万だったように覚えています。
今の物価にして 5500万ですか。
そうこうしているうち、思ったより早くチャンスが訪れました。
己晴さんの親しいお客で、当時ディトナを走らせたら誰にも負けないと異名を持つ
「松崎さん」が噂を聞きつけてシーサイドに来られました。
どれ、俺のディトナよりも速いのか? てなもんです。
解説すると松崎さんのディトナはあれから43年経った今でも
あれほどエンジンの良い個体は見たことがありません。
それほどスムーズでメチャ速いディトナでした。
運転も飛びぬけて荒々しく飛ばす人でした。
松崎さんは興味深そうにBBを見ると
己晴さんに、乗っけてくれよ~ と頼みました。
すると己晴さんは しょうがねえな、鞍ちゃんが運転するなら良いよ、、、
私は一瞬「えっ!」 
まあ、運転には当時から自信がありましたが、
まるきりの新車、しかも始めての車、
さすがにドキドキしました。

続きは明日。
この写真は1977年頃
ガラスの後ろに子供たちがいるよね。
seasid-bill9.jpg


地球の中の島国、日本

皆さんおはようございます。

私は歴史物が大好きで、
テレビのその類の番組は欠かさず録画して楽しんでおります。
「英雄達の選択」や「諸説あり」などです。
勿論、一番面白いのは「戦国時代」
食うか食われるかの戦いはスリルがあり、
それぞれの武将の人間性がよく表れて興味深い。

最近では石田三成の人生に惹かれました。
彼は関ヶ原の戦いに西軍大将として参戦し、味方の裏切りに合い負けました。
裏切られたと言う意味は、その人に人望が無かったと言うこと。
私の一番好きな「織田信長」も結局、明智光秀に裏切られた。
けれどその明智を打ち取って、天下統一を果たした「豊臣秀吉」も
死後、徳川家康に裏切られる。
その後、徳川幕府がようやく戦乱を治め、250年もの長きにわたり
平安な時代を過ごすことになるのですが、
これは表題の様に、あくまで世界的に見れば極東の小さな島国の中でのお話。
皆さんもご存知のように諸外国との交易を禁じ
長崎のあの狭い「出島」のみを窓口にした。
おかげでその頃の先進国、欧州の近代文明の発達に大いに遅れをとった。
その結果、イギリスの植民地上がりのアメリカにも大きく遅れをとり
浦賀に来航したペリー提督が率いる、黒船に慌てふためいた。

今考えるともうこの時点で日本はアメリカに負けている。
小さな島国の日本と、欧州の高度な工業知識、文明知識を引き継いだ
アメリカとではネズミとライオンみたいな差が有った。
葦の葉で作った「草鞋 わらじ」を履いている国と、牛の革で作った「靴」を履いている国
もうこの時点で勝負はついていました。
という意味は、江戸の庶民が惰眠をむさぼっている頃、
欧州では盛んに産業革命が起こり、文明文化が進んでいたと言うこと。
なので付け焼刃みたいな軍備を備え、
結局ネズミがライオンに挑んで大敗した。これが歴史です。

私は戦艦「大和」が大好きなのですが、この船の哀れな最期を見るたびに
日本人は本当に「先を見る能力、現状を把握する能力」
これらが無いアホな人種だと思います。
沖縄に片道燃料を積んで、浜辺に座礁させ反撃の拠点にする?
こんなバカげた作戦を許可する軍部もどうしようもないアホとしか言えません。
結果は皆さんご存知のとおり、道半ばで米軍の圧倒的な空爆を受け
死なくてもよい2740名もの海軍兵が船とともに沈んだ。
昨今問題になっている、日大コーチ、監督の
相手選手を反則でも良いから「つぶしてこい」 これに通じるものがあります。
”目的の為なら手段を選ばない”この思考です。

最近では隣の小さな国? 北朝鮮に日本は翻弄されている
安倍さんだけではなく、戦後の日本はアメリカの占領政策を喜んで?
受け入れ、この島国のあちこちに無償で土地を提供し、米軍基地としている。
なので独自に諸外国に「自分でものが言えない」
言っても常に弱腰。

北朝鮮の拉致被害者もそう、ロシアとの北方領土問題もそう、
中国との尖閣諸島問題もそう。
全て弱腰。
これでは他の国から見れば、日本はアメリカの属国か?
とみなされても仕方が無い。
誰がこの先、日本を少しでも自信を取り戻せる国にできるのか?
それを憂います。

私論ですが、日本こそ再軍備、国産空母の建造、核爆弾の所持を
前提に、20歳の男全員、徴兵制にするべきと提案します。
あの「三島由紀夫」がもし今、生きていたら何と言ったでしょうか?

プロフィール

Castelauto

Author:Castelauto
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク