ようやくシーサイドのお話その3

皆さん、おはようございます。

いよいよ明日は12月、今年最後の1か月です。
早いもので2015年も残りわずかひと月、
光陰矢の如しとはよく言った言葉です。
当社にとって、今年は例年になく難しい舵取りが必要な1年でした。
その最大の理由は景気の低迷
阿部のミクスとの掛け声は良かったのですが、
その底辺までの波及効果はまだまだです。
おまけに異常ともいえるビンテージカーの値上がり。
ディノとか、ミウラとか本当に価値があるものが
正当に? 評価されそれに伴い相場が上がるのは仕方が無い部分ですが
328やら、テスタロッサあたりの量産車まで引きずられて
相場が上がるのは見ていて不愉快です。

なので全体の動きが停滞し市場に活気が無くなる
こればかりは、時間が経過し正しい市場価格に戻るのを待つしかありません。
今から25年も前になりますが、日本全体が泡踊りに浮かれ(バブル景気)
1万円の価値が1千円に思えたころ
スポーツカーの相場も今と同じように天井知らずに上がりました。
それはわずか頂点から2~3年余りで急激に冷えましたが。
結局は相場というもの、絶対的な価値判断は誰も出来るわけでなく
一部の人間が上げる声に共鳴するか賛同するかだけの話です。
とかく日本人は最近特に主体性が無く、
世界の動きに黙って引きずられる傾向があります。
その最大の理由、
簡単に言えば自分の価値基準に自信が無いからです。
引いては車のみならず自身の生き方、
それにも自信のなさが見え隠れする可能性が大きくなります。
その日本人としてのアイディンティ並びに日本人としての自信
あるいは誇り、これらを持つためには阿倍さんの号令だけでは不可能です。
よほど大きな対症療法、
例えば韓国と例の問題を巡り、一時国交断絶する、
今の北朝鮮との様に。
中国とも もっと鮮明に緊張関係を作るなど、
これらが必要だと思います。

話が命題とずれました。
ここからは私がシーサイドに入社する事になったいきさつです。

この会社に入る前、フォードのディーラーの入社試験を受けて落ちたのは
前回お話ししました。
何度も言うようにそのころ、フェラーリとかランボルギーニなどは
雲の上のはるか宇宙のような存在、
カーグラフィックなどの専門誌で写真は見たことはあるが
現物など東京でも何処にもない、販売している店が無い
そんな時代です。(1974年当時)
なのでいかに車好きの私でもそんな車を普通に販売している店が有るのか
と半信半疑でした。
但しその話には伏線があり、
まだ私が学生のころ、東京の下町に住んでいた私は
夏場、毎週のように伊豆方面に友人たちとドライブに出かけていました。
目的は勿論?海でのナンパ。
砂浜に簡単なテントを張って夜たき火でもしていると
ランプに群がる虫のように?若い女の子が近所の民宿辺りから
出てきて たむろするのを目がけてナンパ攻撃をかけるわけです。

シーサイドとはその道すがら国道1号線に出会いがありました。
今なら首都高やら東名を使って、下道など走らないのですが
その時分は貧乏学生
少しでも金を浮かそうとひたすら下道です。
一号国道(東海道)を川崎、鶴見を抜け横浜市内に入り
ふらふらと走っている私の眼に道路沿いに無造作に置いてある
見たことも無い車が映りました。
シルバーのその車は異様なフロントマスクを持ち
只者ではない雰囲気を醸し出しています。
私はすぐに車を止めて見に行きました。
横に乗ってる仲間は私が大の車好きを知ってるものですから
また病気が始まったのか くらいです。
近寄ってみると外車の定番の左ハンドル
おまけに内装は全部革張りで豪華に見えました。
ホイールはそれまで見たこともないセンターロックのスピナーが付いています。
すると奥の事務所からメカニックみたいな男が出てきて
無造作にドアーを開けると突然エンジンを始動しました。
それは聞いたこともない低く重厚な音、
やおらボンネットを開けると、そのメカはエンジンをいじくり出しました。
低いボンネットの中に収まっていたのは
ランボルギーニの12気筒エンジン
そうです、当時まだ日本に数台しかなかった
「JALAMA」 日本ではヤラマ と言いました。
その車だったのです。
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私が生まれて初めて実物を見たイタリアの超高額、高性能な車が
このランボルギーニ ヤラマだったのです。
その場所こそシーサイドモーターが新社屋建設のため
仮に借りていた2キロほど離れた場所にあった事務所兼、倉庫でした。
その当時私は来年の春に卒業する見込みの最終学年
まさか翌年その会社に入ることになるとはその時夢にも思ってはおりませんでした。
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