皆さん おはようございます。
先週末、2日間に渡った横浜でのイベント(ノスタルジック2days)
今回、予想を遥かに上回る入場者数に私も驚きました。
メインは国産の旧車なのですが、オリジナルのものだけでなく、
現代風にチューニングやフルレストアをするショップが多く見られ将来性を感じました。
勿論、キャステルが展示した「ミウラ」は大人気。
カウルを開けて中を見せる演出も好評でした。
そこで改めて思ったこと。
「車好きにとって車とは何だろう?」と言うこと。
自己表現か?
派手な車に乗れば自分もカッコ良く変身できるから?
もしくは愛情やエネルギーを注げる相手だから?
確かに車は人間と違い、嘘はつかないし、裏切ることもない。
しかも定期的に手をかけてやれば、いつまでもその若さを保つ事ができる。
つまり「朽ちない物への憧れだ」
残念だが人間、特に女性は若くて美しい時は一瞬
そのことを我々は認識しているからこそ、
ミスワールドとかミスユニバースとか全員20歳前後
その裏返しの意味は、「美とは儚いもの」
だから私が生涯の仕事としている「レストア」
これは生まれてから50年経つ、例えばランボルギーニ ミウラ (1968~1972)
人間で言えば50歳のオールドレディ
これを青春真っただ中の18歳の生娘に生まれ変わらせる。
だから学校でいう「先生」が必要。
歩き方 走り方 (つまりエンジンとミッション)
脚の関節と筋肉 (サスペンションとブレーキ)
視力とその切り替え (ヘッドライトと各種スイッチ)
ファッション、つまりボディとインテリア
これを超一流にするのは基本中の基本。
良い先生には良い生徒が育つ。
これは常識。
だから「キャステル」という学校を出た卒業生は
車で言う、ビューティコンテスト
「コンコースデレガンス」で賞を取れる。
と、ここまでは車の話。
それでは今日の本題。
我々「人間の男」はどうなの?
一言で言えば、「必ず去る日が来る」
正に今回の表題通りだ。
「去る者は日々に疎し」
これをロシアのプーチンも、
アメリカのトランプも自覚していないのか?と、問いたい。
まるで自分が生きている時間さえ良ければ後のことはどうでも良い。
そんな風に見える。
それは権力と財力を持った人間のエゴだ。
では我々一般庶民はどうか?
「貴方は去るべき日を前提に生きているのか?」と問いたい。
まさか「俺はまだ50歳だから当分生きていくだろう」
これはメチャ甘い考えだ。
若くして40代で死ぬ奴は幾らでもいる。
だからこそ、今、生きている我々に与えられた「時間を大切にする」
大きく見て、今年一年 細かくは今日一日
それが我々に課せられた課題だ。
昨日イベントが終わり、やれやれと思っていたら
いつも通る、何でもない下り階段で脚を滑らせ
腰を強打して昨日は椅子から立ち上がるのも辛かった。
日々、体力、筋力が衰えているのを改めて自覚した。
せめて「気力」だけは衰えない様にしないといけない。
もう一度言う。
人間は必ず去る日が来る。(幸い車は永遠に出来る。選ばれた者だけだが)
それまでに、何を残し何が出来るかだ。





