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ジョン レノン 「imajine」

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昨日の12月8日、1980年はジョン レノンの命日だった。
彼は僅か40歳でこの世を去った。

けれど彼の残した足跡は、その後も全世界の人々の心に残る。
私もその一人だ。
彼ほど音楽を通して、
「平和 愛 自由」などのメッセージを発信し続けた男も珍しいだろう。

しかも伴侶は、我々と同じ日本人「オノ ヨーコ」さんだ。
彼女がいたからこそ、
ジョンの持てるパワーがより発揮できたと言っても過言では無いだろう。
とても素晴らしい夫婦だった。

私とビートルズの出会いを少し話すと、
小学生の頃、
大阪の長屋で2階を自分の部屋にあてがわれた私は、小型携帯ラジオで
「ベストヒットUSA」などの洋楽を聴くのが好きだった。
そして6年生の時、彼等のデビュー曲 
邦楽名 「抱きしめたい」 「I Want to Hold Your Hand」がヒットした。

「ビートルズ? カブトムシか?」変なバンド名だなと思ったが、
子供心にピンときた私は、当時放送部に所属してたので
どこからか、そのレコードを借りてきて昼休みの時間に「校内放送」でかけた。
すると教師が飛んできて、「お前何やってんだ!」と、
えらく叱られたのを記憶している。

小学生でロックンロールは、まだ早すぎたのだ。
その後、中学生になった私は、音楽ではなく、
バスケットボール、卓球、水泳と、
スポーツに夢中になりビートルズとは無縁の日々を過した。

理由は、やはり子供の自分にとって、ロックは遠い存在だったから。
その代わりでもないが、その頃流行し始めたギター一本で歌える「フォークソング」に接していた。
高専に入り、少し落ち着くと、
既にビートルズは解散間際の円熟期を向かえていた。
だから私は彼等の数あるアルバムの中でも最後の方の、
「Abby Road」
「Let it be」などが好きだ。

時は1970年
私は19歳 一番感受性が強かった頃だ。
その後、彼等は解散し、私は何とか高専を卒業し社会人の始まりとなった。
当然、何とか社会人として一人前になれる様、毎日、無我夢中。
落ちついて音楽を聴く環境では無かった。

その頃、社会も流動的で、自身の周りも「スーパーカーブーム」とかあったから余計だね。
そんなあっという間の20代の最後の歳に、
ジョンがニューヨークで亡くなったとのニュースを聞いた。
一つの時代が終わった様な気がした。

それから40年経って、名曲「イマジン」を聴くと
彼の素晴らしい生き方が蘇る。
今後も永遠に語り継がれ、この曲も時代のモニュメントとなって残るだろう。
その意味で、
「ジョンは天国で今の世界の情勢をどう捉えているだろうか?」

是非!聞いてみたいものだ。

プロフィール

CASTEL AUTO

Author:CASTEL AUTO
「子供の頃から純粋に車が大好きだった」

そんな無邪気な少年は自然の成り行きで
1974年、伝説のシーサイドモーターに入社。
49年経った現在も車に対する愛情と情熱は冷めやらぬまま
今日もひたむきに走り続けている。

キャステルオート
鞍 和彦

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