皆さん おはようございます。
今月も例年通り、
1週間があっという間に過ぎ、成人式が行われ、
来週からようやく平穏な日々が始まります。
振り返れば毎年の事だけど、
「正月初めの1週間は無駄な過ごし方が多かったな」と。
海外にでも遊びに行けば、
それなりの楽しい記憶が残ったかもしれません。
でも最近、歳のせいか出るのが億劫になり、
昔の様に、用も無いのに街をふらつく事もなくなりました。
「貴方はいかがでしたか?」
さて、そんな愚痴は誰も聞いてくれず、毎日時計の針は動いていきます。
私は夜更かしで、
リビングのソファーでゴロゴロしながらテレビを見るのが好き。
すると時間は12時30分を過ぎ、眠くなりベッドに寝転がる。
愛犬ルルは高齢の為(15歳)、数ヶ月前から下半身が麻痺して自力で歩けない。
仕方ないから私の隣に小さな枕を置いて一緒に寝ている。
何となく目が覚めて、おしっこに行きたくなり、時計を見ると6時過ぎてる。
ルルもベランダでおしっこをさせないといけないので、
バタバタしていると6時半。
テレビはちょうどNHKのラジオ体操の始まり。
これは年中無休で365日毎朝やってる。
私の不満は、以前は6人位の体育大学のオネーチャン達が
レオタードで模範体操をしていた。

これは以前の画像。
ところが今は人数が減り、見たくも無い男子が短パンを履いて出ているし、
女の子の服装もレオタードではなく不細工な小学生並みの地味な半ズボン姿。
「誰がこんな風にしたの?」と文句を言いたくなる。
おそらく地方の婆さんが、(全国放送)
私と同じ目的で若い子のレオタード姿を体操そっちのけで凝視する伴侶の爺様に焼きもちを焼き、
NHKに投稿したのだろう。 風紀を乱すとか、、、
「それ位、小さな楽しみでいいじゃ無い」
私はそう思う。
例えば、オリンピック種目でもある「体操競技」
女性は皆レオタードだよね?
これが上が丸首シャツで、下が半ズボンだったらどうよ?
見ていて面白くも何ともないだろ。
女は女の身体の美しさがある。
その象徴がおっぱいとお尻だ。
オカマが整形して、おっぱいをデカくしても、お尻は難しい。
やはり生まれ持った「らしさ」があるんだよ。
1964年の東京オリンピックの時に、
当時売れっ子だった小説作家の野坂昭如が
チェコスロバキアの女子体操選手「ベラ チャスラフスカ」
彼女の平均台の演技をみて、「エロだ」と言った名言がある。
これが男の本心だ。
何故ならこの選手は今の痩せた体操選手とは違い、
とても、ふくよかな体型だったからだ。
そして彼女は日本中の男を魅了し、かつ審査員も彼女の「女性美」を認め
見事、金メダルを獲得している。



このカラー写真は、東京大会の次のメキシコオリンピックでも
ソ連の選手と共に金メダルを取り、表彰台に立った時のもの。
彼女は東京大会直後に起こった
母国チェコスロバキアの政治改革に巻き込まれるが、
自分の信念を貫き改革派の象徴になる。
興味ある人は
ここを読んで下さい。
「ここで私が何を言いたいのか」
頭の良い人は気付いているだろう。
簡単なヒントは、現代のアクロバットの様な体操競技やアイススケート
「これらの原点はどうだったか?」と言うこと。
昔札幌の冬季オリンピックで、
銀盤の妖精と言われ転んでも格別な人気を誇った「ジャネット リン」


彼女もフィギュアの技術だけではなく、女性として持つべき「優しさ、愛らしさ」
それを備えていたから見る者の心を捉えた。
つまり人の心に訴えるのは、シンプルな「美」なのだ。
それも無理な整形とかシェイプアップするとかでなく
自然な美しさに人は本能的に惹かれる。
ここからは私の本職
「では車の世界ではどうよ?」
今や名門フェラーリ、ランボルは、400馬力、500馬力は当たり前。
しかも誰がデザインしたのか分らんが、
まるでアニメに登場する「ガンダム」のよう。
私はそれらを気にせず高額な金をはたいて購入する人の「気が知れない」
端から見ていて、
ド派手な車に乗ってきて車を停めて降りる時、
「自分がそのオモチャの様な車に似合ってるのか?」
そう問いたい。
私の独断と偏見では、似合うのは「やさぐれたイタリア男」
もしくは
ロサンゼルスのビバリーヒルズを「地元」と言い切れる格好いい黒人。
そのどちらかだ。
少なくとも、ダサい日本人には絶対に似合わない。
けれど日本でも、1970年代のビンテージカーならその疎外感は少ない。
何故なら、車よりも人間の方が主役でいられるから。
例えばディノは言うまでも無いが、ミウラ、またはカウンタック
この車達は、かなり主張はあるが、人前では一歩引いている。
ところが今のフェラーリもランボも、車の方が出しゃばりすぎ。
普通の男では完璧に車に負けている。
結論から言えば、
スポーツーカーというものが時代を先に進み過ぎている。
それに人間が付いていけていない。
それが現代だ。
一番の理由は「商業主義」
売る為に、どんどん派手に、どんどん高価になっている。
確かに今やビンテージカーも高騰はしているが、
普遍的な価値がある。
つまり体操では無いが「原点」だからだ。
それを理解して、乗りこなせもしない様なミーハー車を捨て、
キャステルにスポーツカーの原点を買いに来てくれ。
必ず満足を与える事を約束する。
鞍教
教祖 鞍 和彦
私が作る、ビンテージカーには「魂」が入っている。
それがとても大事だ。
逆に言えば、魂の無い乗り物は子供のオモチャと同じ。
必ず飽きて捨てられる。
「ディノを飽きて捨てる奴がいるか?」 いないだろう。
それが証拠だ。