皆さん おはようございます。
私も長年生きてきて、
「周りに感謝する」或いは、
「感謝したい」その逆で「感謝された」
その様な事が少なからずあります。
考えれば、その内容や容量が大きい程、その人間は心が広く深い。
具体的には、人望があり、人から尊敬される。
自分自身も施しや思いやりを受け、腰が低くなり謙虚になる。
この様に書くと良い事づくめ。
ところが実際の日常生活に於いて、
この、「ある意味「尊い」気持ちをどれだけの人が持ち得ているのか?」
残念ながら、我々の現代生活の中で
この「感謝」の気持ちは稀薄な感情の様に思える。
例えば身近なところでは、「親への感謝」
私自身も20代の頃は、散々贅沢な事(バイクやら車を買ってもらった)のに感謝の気持ゼロ。
30代で商売が苦しくなり、(ブローカーの頃)オヤジに金を借りた時、少し感謝。
40代でバブルが崩壊し、多額の税金の請求で首が回らなくなり
オヤジに今度は「貸してくれ」ではなく「金をくれ」とお願い。
私は幸い一人息子だったので「遺産代わりに先に金をくれ」と。
とんでもないバカ息子ぶりを発揮した。
この時は頭を下げたフリをしてみせたが、本気の感謝では無い。
親子なんだから「施し」を受けても当然だろうと。
これらから考察すると、
本当の意味の「感謝」とは、
「利害関係が無い相手から受ける無欲の施しの気持ち」
具体的には「優しい言葉」「思いやりの気持ち」
それも一方通行で見返りを求めずに行うこと。
ところが与える物が現実的に「金」になると、
与えた側はそれに対して金額が大きくなる程、
「見返り」の気持ち、つまり「欲」が出てくる。
相手が個人の場合、
相手も、こいつは善人のように金をくれたが、
内心では「何か俺に、もしくはアタイに望んでいるものが有るだろう」
と、疑心暗鬼な気持ちになる。
男が女に金を与える時、これなど簡単に説明が付く。
「相手の女を裸にしてセックスする権利を代償として得る」
これが良くある話。
ただ今日の論点はそんな生臭い事では無い。
仮に無償の奉仕では無いにせよ、感謝に値する施しを受けたとする。
「それを貴方ならどう返す?」
言葉で「ありがとう」と言う。これは常識。
それよりも大事な事は、その感謝の気持ちを「カタチ」で表わす。
訪問する相手の気に入りそうな物、
お菓子でも花束でも良い。
それが感謝の気持ちがカタチとして相手に伝わる。
日本には昔からお歳暮などの物を贈る習慣がある。
年始には年賀はがき。
ところがそれらの「カタチ」でさえ年々減少していると言う。
だったら「気持ち」はどうなの? と言う話だ。
「一宿一飯の恩」とは古い言い方だが、
世話になった恩は時間が経っても忘れてはならない。
その受けた「恩」が大きい程、その人は心豊かになるだろうし、
それを授けた側も、周りが黙っていても評価するだろう。
今回このような文章を書いたのは、
最近の日本があまりにも「拝金主義」になり
どんな手段であっても、人を騙してでも、
他人に危害を加えても金を得たい。
そんな風潮が世の中に蔓延しているからだ。
そこには「感謝のカケラも無い」
だから世情が索漠とし、乾燥した空気感になる。
おまけに、昨今のコロナのせいで皆マスクで顔を隠し表情が読めない。
つまり感情が伝わりづらい。
この様な状態で、
お互い信頼し、思いやり、皆、朗らかに楽しく生きうるなど夢物語に近い。
まずは、我々がその様な時代に生きていることを自覚し、
各々が前向きに生き、少しでも良いから周りの人々に「気持ちを伝える」
これが大切だ。
「私の場合?」
毎晩工場を閉める時、壁に飾っている「恩師」
元シーサイドモーター社長「松澤 己晴」の写真に向かい、
「今日も無事に仕事が終わりました、有り難うございます」
と感謝の気持ちを言葉で伝えている。