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私が始めて走らせたマセラーティ、

皆さんおはようございます。
時は今から40年も遡る、1974年
当時私が勤めていたシーサイドモータ
そこには今振り返っても同じ事が再現できないほど、珠玉の名車達が揃っておりました。
私の考えるスーパースポーツカーとは?
イタリア車で言えば、並のスポーツカーが「アルファロメオ」
それと比べると、当時のフェラーリ、マセラーティ、ランボルギーニは
数段上のレベル
アルファが何かの商売で稼いだカネで買う趣味の車とすると
フェラーリなどは、元から大金持ちの男が気まぐれで買う「オモチャ」
だから彼等の満足の為に、ボディは専属のコーチビルダーに美しさを追求した
デザインを描かせた。
エンジンもアルファが2,000ccが基本に対して、フェラーリのデイトナなど
4300ccと2倍の排気量、しかも贅沢なDOHC(ダブルオーバーヘッドカムシャフト)
つまり各バンクに2本のカムシャフトを配置、(アルファはシングル=1本)
しかも気筒数をアルファの4に対して、3倍の12気筒
これらのギミックはあくまで大金持ちの購入者に対する
貴方しか持てない、「最高級スポーツカー」のトレンド
特にデザインに於いては、イタリアの伝統工芸の
ローマ時代から続く美意識を体現した物
その血を受け継いだのか、フェラーリで言えばピニンファリーナの
フィオラバンティ氏、ベルトーネなら ガンディーニ氏
もう一人の天才は、ジウジアーロ氏=私の大好きなマングスタのデザイナー
この黄色は私が唯一輸入販売したマングスタ 仕上げるのに苦労した。
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彼等のデザインは完璧に「美術工芸品」として後世に受け継がれる。
シーサイドに入るまで、全くそれらの世界の実物を見たことが無かった私にとり
そのデザイン一つをとっても衝撃的だった事は言うまでも無い
何しろそれまで見てきたのは、ホンダのシビックで有り
日産のサニー、トヨタで言えばクラウンだったから
もう一つ言えば、1960年後半に出た、トヨタ2000GT
情報が無い私に取ってそれこそ「夢の車」
なんとなくデザインは好きになれなかったが、
直列6気筒、DOHCエンジンは「スゲーな」と感じた
話は戻る
それを前提でrイタリアのスーパースポーツを見ると
相撲で言えば、幕下付け出しが多いなか、大関を飛び越して
横綱が目の前にいる
そんな感じを始めて目にして音を聞いたときに実感した
今でこそ、東京の麻布や、青山辺りには派手なデザインの
ランボルや、フェラーリがうようよしているが、
私は全く興味が無い
理由はそれらが私に取り、ドライバーも車も含めて
「リスペクト=尊敬」する気にならないからだ。
その差はとにかく売れればそれで良い=商業ベース
比べて当時のスーパースポーツは 自国=イタリアの
高級貴族のために、彼等を満足させるための車を少量生産で作っていた
当然値段は非常に高額になる
それが1975年頃までのスタイルだ。
その証拠に、ミウラを見たまえ、
手が長く脚が短い、典型的なイタリア男のサイズに合わせてドライバポジションを
決めている。
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miura dec 2019 6

ちなみにイタリアの男は皆小柄だ。
平均的な身長も我々日本人とほぼ同じ 168~170センチ
だから初期のこれらの車が彼等に向けた専用の作りだったのがよく分る
1970年の後半からはアメリカを始めてとするスポーツカーマニアが
目を向け始め、それに迎合するように各メーカーもサイズをどんどん大きくするようになる。
だからディノなどは日本人に丁度良いフィット感があるんだよ。

マセラティのファーストインプレッションを書くつもりが
横にそれた。
次回は必ず書くよ。


プロフィール

CASTEL AUTO

Author:CASTEL AUTO
「子供の頃から純粋に車が大好きだった」

そんな無邪気な少年は自然の成り行きで
1974年、伝説のシーサイドモーターに入社。
49年経った現在も車に対する愛情と情熱は冷めやらぬまま
今日もひたむきに走り続けている。

キャステルオート
鞍 和彦

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