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「私に出来ること」

皆さん おはようございます。

1974年節目の年に、
この業界に入ってから、
既に49年の長い年月が過ぎました。
シーサイドに入社した当時、
22歳の若輩者だった私も今年で72歳。

私が唯一、尊敬できる師匠だった
「シーサイドモーター社長 松澤己晴」

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彼がこの世を去ったのは、
「1987年」今から36年も前の事。
当時52歳だった。

私は既に彼より20年も長く生きている。
こう考える時、
「人生とは」また「生き方とは何だろう?」
と自問自答する。

「人間の器」と言ってしまえばそれまでだが、
彼は20歳の頃から車屋を始め、
39歳の若さで10階建ての自社ビルを建てた。
勿論、銀行からの借金が大半だっただろうが、
それだけの信用が有ったと言う事だ。

かたや私、
39歳の頃は何も持たないタダのブローカー。
バブルが崩壊して辛い目にもあったが
何とか乗り越えてきた。
車の雑誌に意見的な広告を出したりして。

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今から15年前に、
小さいながらも自分の工場を持ち、
スタッフも増えたり減ったりしたが、
今は優秀な人間が残っている。

お客様にも恵まれ、
北は北海道から南は九州まで
沢山の方とお付き合いさせて頂いている。

毎日、私は工場を閉める時、
己晴さんの写真に向かい
その日一日の感謝を述べ帰宅する。

時々、
「自分の方向性は間違って無かったのか?」
と己晴さんに聞くが、
勿論答えは帰って来ない。

その時に考えるのは、
「自分の置かれた立場」だ。

世間の常識からすれば、
会社の従業員であれば、与えられた仕事、
もしくは開発する仕事、それらに勤しむ。

会社の社長であれば、
従業員の面倒を見て
生活の担保を図り、会社の発展を促す。
「その当たり前の事が出来ているのか?」
という問いだ。

私の会社の商品、ないし職種は、
海外のスポーツカーの販売と整備、レストア。

正直、一般庶民の方には縁遠い内容だ。
扱う車種が数百万ならともかく、
ほとんどが数千万から数億。
私がシーサイド時代でも、
「億を超える」車は扱った事が無かった。

お蔭で2億もの保険に入り、
その金額も半端ではない。
しかしお客様の立場、そして保有物、
また自分の会社を守る為には
どうしても必要な安全の為の担保だ。

普通に考えてみてくれ。
貴方なら数億の車が目の前にあって、
「走らせて良いよ」と言われ、
「はい、有り難うございます」と
躊躇なく乗り込めるか?

しかも相手は、
半世紀も前の車とは言え、
当時の世界最高スポ-ツカーだ。
その加速は、けして遅くは無い。
それを自由自在にコントロールし、
しかも安全に走らせる。
これは誰にでも出来る「技」では無い。

事実、シーサイド当時、
己晴さんは殆どスポーツカーには乗らなかった。
普段の横浜の足は会社のシビック。
自分の車を持たない人だった。
それに引き換え現在の私は、
ベンツのセダンとオープンのSLの2台を保有し、ある意味贅沢だ。

それが出来たのも「己晴さんのお蔭」
私は常々そう感謝している。

キャステルは方向性が良かったのか、
現在では、
「ディノ」「ミウラ」「カウンタックLP400」等、
完璧に世界最高のレストア水準をクリアーしている。

私としては今後の方針として、
日本に現存するこれらの車達、
それらを私の長年の経験とスタッフの知恵で、
「新車以上」という
キーワードでアピールしていきたいと思う。

是非、それらをお持ちの方がいたら
ご相談下さい。

私の身体が健康で、
この仕事に携わる限り、努力は惜しまない。

そう宣言しておく。

現在ガレージには、
2年半もの時間をかけて完成した、
「カウンタックLP400フルレストア」
4年前にレストアを行った
「ミウラP400S」
この2台が入っている。

レストアレベルを自分の眼で確かめたいなら
歓迎する。
アポイントをとってから来て下さい。

担当 しのもと
(045)663-4660 まで

2023年11月14日
鞍 和彦

プロフィール

CASTEL AUTO

Author:CASTEL AUTO
「子供の頃から純粋に車が大好きだった」

そんな無邪気な少年は自然の成り行きで
1974年、伝説のシーサイドモーターに入社。
49年経った現在も車に対する愛情と情熱は冷めやらぬまま
今日もひたむきに走り続けている。

キャステルオート
鞍 和彦

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