皆さん、おはようございます。
私は映画を見るのが好きで、特に洋画の面白そうなのは必ずチエックします。
家で時間があるときは、WOW WOWの映画特集を見ます。
勿論、録画です。
最近、面白いのは時代劇と言っても ちゃんばらではなく、
1959年頃の日活映画です。
この頃は、日活と言えば石原裕次郎を筆頭に、赤木敬一郎、小林旭
と大スターと後にいわれるようになった数々の俳優が出て来るのですが、
特に小林旭さんの映画は見る人を強烈にひきつける、現代の俳優には無い
生身の人間の迫力が充分に出ていて、とても面白いものでした。
それと同時にストーリーが勧善懲悪で判りやすく、安心してみていられるのも特徴です。
私のように車好きにとっては、映画の中に登場する当時としては高級車であったろう
大きなアメリカ車、たまに出てくるキャデラックのオープンカーなど
よく撮影に使えたなと感心します。
それよりも私がこれらの当時の映画を見て感じるのは、
現代と違い、出てくる庶民も含め皆が一生懸命に生きている
その息吹がつたわってくることです。
昔と言ってもたかだか50年も前の事です。
1959年と言えばまだ各家庭にテレビも普及していない時代です。
私は1951年生まれですが、家にテレビ、勿論白黒のブラウン管が大きいもの
がやってきたのは、10歳くらいの頃でした。
物珍しくて、チャンネルを切り替えるダイヤルをくるくる回していたので
オヤジに怒られた記憶があります。
その頃の娯楽と言えば庶民は休みの日に繁華街に出かけ、
飯を食べて映画を見る、これくらいでした。
私も小学生の頃、大阪に住んでいましたので、なんばという大きな繁華街に
日曜日に家族で出かけ、串揚げか まむし(大阪ではウナギのことを気取ってマムシと呼ぶ)
を食べ、映画を見て道頓堀辺りを散歩し、帰りに不二家でパフェを食べる
これが最高の幸せでした。
今思えば他の子よりも私は恵まれた境遇だったようです。
では現代の家族はどうでしょう?
昔よりも核家族化が進み、家族団らんとか、家族で外に出るというようなことが
かなり減っているように思います。
昔なら宿題が終われば、漫画の本を読むくらいしか楽しみは無かったのに
今なら、テレビを着ければBS,CS,などいくつものチャンネルがあり、
ゲーム機をテレビに繋げば何時間でも時間をつぶせると、
友達と遊びに行くにも、昔はその子の家まで出向きチャイムを鳴らさなければ
ならなかったのに、今は携帯で簡単に連絡が付きます。
つまり便利になった分、我々を取り巻く機械やコンピューターなどに
作った人間が逆に支配されていると、
電車に乗ると、座っている人の8割は携帯を手に持ち画面を見ています。
それはまるで、ロボットが電波で操られているように見えます。
現代は情報が溢れすぎとよく言われます。
その通りです、
あまりに多くの情報が散乱して、どれが正しいかが判らなくなる、
あるいはネットで調べたことが正しい事と思いこむ、信じる。
これは危険な風潮です。
今一度、自分にとってどんな情報が必要なのか、
またそれを得る手段がパソコンしかないのか?
今一度考えてみる必要があると思います。
ルーブルで直に見る、モナリザとウエブで見るモナリザの違いです。