みなさん、おはようございます。
ようやく決まった”東京”の文字、非常に誇らしいですよね。
前回の東京オリンピックの時、私は13歳(1964年)
まだ大阪の中学2年生の時でした。
学校の体育館で特別授業としてテレビ観戦を設けられ、
日本人選手の活躍に喜んだりしたものです。
でもこれを見て頂いている方々は大概、そのあとの生まれ?もしくは
まだ小さい子供だったでしょう。
身近で見る国と国との対抗戦のようなオリンピックは、やはり愛国心をくすぐります。
是非、これをきっかけに日本全体が盛り上がれば良いと思います。
ただ、7年後と言えば私は69歳、
まだまだと言えばそれまでですが、健康には気をつけなければなりません。
私の健康のバロメーターであるボーリングのアベレージも
40歳代の時は、平気で200アベを出していましたが、
歳と共にだんだん下がり、最近は185位をキープするのがやっとです。
昔のお客様であった ゴルフのジャンボ尾崎さんもシニアツアーに背を向け
若い選手に交じってトーナメントに参加されていますが、
体力の衰えは隠せません。
人間とはそんなものでしょう。
そこで今日の格言、
「人間は必ず老いてくる、大事なのはその老い方」つまり30代、40代、50代と、それぞれの節目の年月に何を残せるか
それは特別、周りに対してだけでなくても良い。。
自分の中の自負に対してで充分だ。
おれはこの10年、この足跡を残してきた。
それを一つでもよいから持つ事、持とうとすること、これが大事だと思う。
私ごとで言えば、現在のキャステルオートを今まで33年間やってきた。
そして今年で60歳をもう2年も過ぎた。
だから私に取り、この60代は自分の仕事の集大成の時間であると考えている。
今までシーサイドから数えて、39年間、充分な経験を積んできた。
70年代のビンテージフェラーリ、ランボルギーニの
運転してきた数、見てきた数、販売してきた台数
それらはこの日本ではだれにも負けない自負がある。
更に、その仕事の発展形としてレストアを始め、
今は亡き、名メカニックだった永井さん、など周りの人々にも助けられ
現在は、そのノウハウのすべてを公表するくらいの(例のレストア本)
自信と実績を持つに至っている。
これからまだまだこの日本を取り巻く環境は予断を許さないが、
少なくても、多数のディノを初めとしたビンテージカーが日本にあるのも事実だろう。
私はそれらをリクエストを受ければ、
「はい、判りました、ご希望はいかがなさいますか?」
と簡単に答えるような体制を常に安定して築いて行きたい。
これが私の60代の挑戦であり、なすべき事と考えている。
既に最高の(世界レベルでの)レストアのノウハウは充分身に着けた。
日本全国どこからでも良い、訳のわからんところに出して時間の無駄をするくらいなら
初めからキャステルに相談しろと。
そう言い切ることの出来ることが私の幸せだ。
いまいる5人のスタッフ、そのチームワークは最高のものと断言する。
そして彼らがいることで私が大きな事を言えるのだ。
後ろに見える軍艦みたいな島が サンフランシスコの湾の中に浮かぶ
有名な監獄(シカゴのマフィアのボス、アルカポネも収監された)
アルカトラズ島だ。
割と近くに見えるが潮の流れが速く、対岸に泳ぎ着くのは不可能らしい。


台に寝そべるのは、アシカの群れ。

サンフランと言えばこのケーブルカーだろう。
残念ながら私は乗ったことが無い。

港の脇にあるフィッシャーマンズワーフにはいつも観光客が一杯。
ただ、あまりキレイでは無いよ。

LP400の続き。
結局5~6か所の陸運事務所と交渉したが、全部だめ。
最近はコンピューターで情報を横に流し、全国どこでも情報を共有しているらしい。
この車は気をつけろと。
最後は人の紹介で仙台まで出向いたが訳の判らん理屈をこねやがってダメだった。
仕方がないのでお客にも納得してもらい、ヨーロッパに売ることにした。
ドイツのピーターを仲介として、この車はスイスのコレクターに渡った。
相場がこの2年の間に上がっていて損を出さなかったのがせもてもの救いだった。
非常に残念だったと思うと同時に、日本の役所の役人根性丸出しの対応に今でもむかつく。
お前らの仕事は車検を受けさせないためにあるのかと、
逆だろう、車検を通すためにお客である申請者と共に、対応を模索する
別におもてなしをしろとは言わないが、小賢しい役人根性を振り回すなと。