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F40 の過去、そして未来。

みなさんおはようございます。

歴代のフェラーリの生産車の中でも、このF40はかなり異質なモデルです。

何が異質かと言えばフェラーリが長年に渡り、かなりな富裕層向けのモデル。

それもグランツーリングカーとして素質が大きい、
たとえば250GTルッソ、275GTBなどとは一線を期し
かなりコンペテションに近いモデルとして。。

つまり、自宅からそのまま走ってサーキット場に行き
大きな変更は加えず、(例えばタイヤ、ホイールをスリックにするとか)

そのままヘルメットを被り、サベルトの4点式に交換したシートベルトを締め上げ
サーキットドライブを楽しめるという、資質を持つモデル
そういうコンセプトで開発された車です。

うがった見方をすれば
フェラーリ社創業の男、エンツォの最後の希望をかなえようと。

つまりレーシングシーンが大好きだった
エンツォの最後の息がかかったモデルを造ろうと。

彼が常にレースで勝つことを目標にしていたのは、あまりにも有名な話です。

ですので
市販車としてのF40も完璧では無いにしろ
コンペテションモデルとしての要素が充分に盛り込まれておりました。

超軽量を目指したオールケブラーのボディ構成、空力を最優先したデザイン。

最高性能を得るために
低速でのパワーは犠牲にしてもツインターボが炸裂する
かなり高いタービンの過給圧の設定など。

残念ながらレースカテゴリーの関係で、あまり大きな戦績は残せませんでしたが
競技用のF40LMは 数々のレースで活躍いたしました。

日本でもタイサンレーシングチームなど複数のチームが
このF40を使って走らせたのは、まだ記憶に新しいところです。

さて、このF40が始めて日本に入ってきたのは
くしくもバブル時期と重なります。

おかげでディーラーの定価が4000万円だったにもかかわらず
その数倍、1億以上の値が附けられ、それでもバブルで金が余っていた
不動産屋などが買い漁り、走る億ションと呼ばれたこともありました。

当時、私もバブルの泡に呑まれ、阿波踊りはしませんでしたが
かなり不埒な生活を送っていたのも事実です。

なにしろ、その頃は幾らでも金は廻ると言う誰もがそういう意識でした。

節約、倹約と言ったら変人と言われた時代です。

今は? 誰もが節約、倹約志向?
時代は必ず繰り返し、廻るものです。

ですので、まだ若かった私も(38~39歳)
好きな おねーちゃんのいるキャバクラ通いを続けるため?
せっせとお金持ちの人を口説いては売りつけていたのです。

曰く、「今買っておけば更に値が上がりますよ!!!」

その言葉通り、私もこのF40を1台1億で売りました。

ところがバブルがはじけたら下がるのも早い事。
本当に瞬く間でした。

申しわけない事をした と心で謝ったのも事実です。

さて、それから20数年が経ちました。
このF40はいまだに輝きが失せていないと言っても過言ではないでしょう。

フィオラバンティがデザインした、他に似る物が無いデザイン。
今では考えられない制御が難しいターボエンジン。

それらが個性と言う名の評価に繋がって、現在でも高い価格のレベルを維持しています。

私は幸いこのF40の新車の時から付き合いを始め、今に至るまで約20台くらいの
数を手掛けてきました。
ですので、この20年間の変節を良く知るわけです。

次回は新車で走った時、その後の変遷も合わせてインプレッションなどを
語りたいと思います。
ご期待ください。

この撮影場所は 横浜元町商店街の出口近く。
1階にスタバがあるところです。
この斜め2階にあるのが、私がジーンズをよく買う 

”ヤンキースタジオ”
というカジュアルファッションの店。

オーナーの北川さんとは仲良しです。
センスを売りにする彼の店を訪ねて下さい。
電話は045-641-6013 です。

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プロフィール

CASTEL AUTO

Author:CASTEL AUTO
「子供の頃から純粋に車が大好きだった」

そんな無邪気な少年は自然の成り行きで
1974年、伝説のシーサイドモーターに入社。
49年経った現在も車に対する愛情と情熱は冷めやらぬまま
今日もひたむきに走り続けている。

キャステルオート
鞍 和彦

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