F40の過去、そして未来 その4

皆さんこんにちは。

昨日の続きです。

イタリア、ミラノに 288GTOを買いに行った私は、
現地の銀行の会議室で向こうの代理人と、
みるからにマフィアとの3者面談を行いました。

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代理人とは現地の車屋ですが、実際のオーナーはそのマフィアの様でした。

先日も言いました様に時はバブル、
そしてエンツォが亡くなって異様な高騰感の有った時期。

日本からわざわざ買いに来るとは、
「飛んで火に入る夏の虫だぜ」 と考えたに違いありません。

向こうの通訳が言うには、「お前らは本当に金を持参しているのか?」
その証拠を見せない限り、車は見せられない。

ついては幾らかのデポジットをよこせと言うのです。
得体のしれない相手に金を差し出すほど私もおバカではありません。

逆に「まず車を見せないならこの話はお終いだ」と伝えると
逆ギレしてか、ますます早口のイタリア語で怒鳴り散らします。

このまま行ってはかなりヤバイ
そう感じた私は丁度お昼どきでもあったので

「悪いが腹が減ったので、話はランチの後にもう一度仕切りなおそう」
と、提案しました。

そうしたら、そのマフィアが「近くに俺の行きつけのレストランがある」
お前らに奢ってやるから其処に行こう と言うのです。

ランチごときで恩でも売られたら面倒です。
私は丁重に誘いを断り、同伴のアメリカ人と急いでその場所を離れました。

そこに戻らなかったのは言うまでもありません。

まだ相手が一人だったから良かったものの、数人で囲まれていたら
どうなっていたか判りません。

車のビジネスとはこういう危険も含むのです。

話は切替さんに戻ります。
ミラノの車屋に赴いて、始めて見た現車のF40.
彼の言葉を借りれば、気持ちは既に飛んでいた。
つまり憧れの大スターを目の前にしたファンの気持ちでしょう。

真偽は判りませんが、軽いオークションの様な事をされ
彼は迷わず最も高い金額 1億3千万 を付けたのです。

人間どうしても欲しいものが目の前にぶら下がると、お金の事は2の次になり
いくら高くても手に入れたいと思うようになります。

ところが帰りの飛行機の機内で冷静に考えてみると、
1億3千万とはかなりな金額。
本当にお金を作れるのか? 
仮に作れたとして、日本に運んで商品としてそれ以上で売れるのか?
そう考えると寝てもいられない気持ちになったそうです。

今振り返れば、その時自分の人生で1世1代の大ばくちを打った気がする、と彼は語ります。

コーンズでは既に販売価格が決まっており、約4000万
それを1億3千万で買ってくるのだから、それ以上となると
1億4000万?つまり1億以上のプレミアムを付けて買う人が日本にいるのかといういう話です。

仮に私ならそこまでの気持ちにはなれません。(肝っ玉が小さいから。)
その時彼の奥様が、この1億3千万に対して、3台分の金額だろうと思って
(ディーラーでは4000万だから)
旦那に車が来た時に、次のF40はいつ来るの? と聞いたと言う笑い話があります。

切替さんからすれば かなりシリアスな質問だったでしょう。

ところが時代の流れとは恐ろしいものです。
今なら考えられないことも、その時代が人間の感覚を麻痺させる
そういうことは歴史を見れば数限りなく存在します。

ドイツ帝国によって、ユダヤ人が6百万人も虐殺されたこともそう、
日本の軍部の非道な命令で特攻が組織され、数限りない若者が命を落としたのもそう
中国でも毛沢東の号令した 文化大革命によって実に4千万の文化人が命を落としたとか、

全てその時の時代背景が民衆に多大な影響を落とすわけです。
まだバブルの時は、単に金の問題だけだからまだ救いがあったのかもしれません。

でも小金持ちのにわか車屋がこぞって海外から車を仕入れ、
あげくはバブルが去って、高値で買い上げた在庫が不良債権化し、
倒産したという話は数多くありました。

話は戻ります。
切替さんの悩みを救ってくれたのは、当時フェラーリ博物館をオープンしたばかりの
松田コレクションの松田さんでした。

勿論彼は以前からコーンズの優良な顧客であり、F40の契約も済ませておりました。
ところが納車は未定、多分1年後くらいとの話を受けて、
目の前にある切替さんのF40を買う事にしたのです。
フェラーリミュージアムを運営するプライドもあったのでしょう。

勿論売買価格は仕入れ値にプラスを付けた金額です。
ところがその後、日本に入れた実績を聴きつけた、コーンズでは買えない
金持ちの連中が切替さんに次々とオーダーを申込み、
最終的には20台ほどの新車を入れることになりました。

その中で一番高い金額は?
2億3千万。
その数字で3台は売ったと言います。

但し、フェラーリ社が予想を覆して1988年から1992年まで 1200台以上を
製造したため、(コーンズでは250台も販売した)
さすがに車がダブり始め、その相場価格も急激に下落したのです。

もっとも安くなった時で3000万(中古車で)
現在は再び上昇し始め 5000万になって来ています。

今日のまとめです。
人生の達人であろうがなかろうが、先を読むことは不可能。
自分のコントロールできる範囲で人生を全うすることが大事。

それをこのF40という 稀代まれなスポーツカーは教えてくれます。

これにてF40の簡単なヒストリーを終わります。


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