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1977年当時の保税倉庫

皆さん おはようございます。

私がシーサイドモーターに在籍していたのは皆さんご存知のことと思います。
1974年の4月から会社が無くなる1980年の2月までです。
その約6年間に私は今の仕事の基礎となる数多くの事を学びました。

言い換えればこの会社、この経験がなければ今の私は存在していなかったと思います。
人間誰でも社会人になり、初めての仕事、初めての会社、それは慣れないことの連続で
それをどう乗り越えるか、どう成長していくかが大事です。

ただ、最近の若者の一部には、社会人としての責任感、意識が軽薄で
ただ漫然とフリーター、アルバイト感覚で仕事を捉え、
アリとキリギリスの寓話のようにその日暮らしのような生活を送る人が増えてきているようです。

当たり前ですがこの世の中、まともな人間が多いわけで
しっかりとしたキャリアを積まないと、30過ぎて、40過ぎて
その人への評価がはっきりと分かれます。

これを読んでいる方々は大体が40歳代と思うのですが
もう人生の半ばを過ぎている頃です。
ということは自分の生き方のアイディンティを構築していなければならない年齢?

ただ、日々の生活というものは40も過ぎると毎週、毎月
同じことの繰り返しが多いことも事実。
できれば、1年に一度でも人生を振り返り先の目標なり
求めるものを再確認するなり、そういうい時間が大事ですね。

私の会社は言うならば、車好きの方にとって夢の玉手箱なのかも
しれません。
確かに40代の男が小学生、中学生の頃、夢にまで見たスーパーカーが
ここに行けばゴロゴロ転がっています。

しかもオーナーであるこの私の考え方が非常にオープンマインド、
つまり販売店でありながら、商品の車も大好き、それに興味を持たれる人も大好き
店をサロンとして捉えて欲しい、
お金がある人も、ない人も車好きであれば平等、そういう考えです。

言うまでもありませんが、この道40年の私はスーパーカーの
日本における歴史を知り尽くしている人間です。
その男と、当時の歴史背景、その車そのもの、それらを
眺めながら談義するのは、車好きにとっては至福の?時間と言っても過言では無いでしょう。

是非アポイントを入れてお越し下さい。
お待ちしています。

さて今日はそのシーサイドにまつわる珍しい写真をお目にかけます。
無造作に車が並ぶこの場所は、当時シーサイドモーターが提携していた
相模運輸という、専門用語で言う、乙仲の倉庫です。

今でこそ輸入した高額な車は倉庫の中に入れますが
この頃はなんと野ざらし。
しかも地面は草が生える地べた。

車によっては入庫から数ヶ月も置いておくことも珍しくなかったので
下回りのサスペンションなどが錆びてくるのも当たり前でした。

ではご覧下さい。

手前にあるのは512BBのキャブレターの新車
左右にミラーが無いのが分かりますよね?
この当時まではオリジナルのミラーなどつける習慣? は無かったのです。
BBは次のインジエクションから工場出荷時に標準装備されました。(ビタローニターボミラー)
右の黄色はディトナ、その隣にはミウラが2台並びます。
当時我々にとってミウラは特別な車ではありませんでした。
いわば、ディトナのライバルくらいの感じですね。

IMAG0190.jpg

オレンジのミウラの後ろはマセラーティのメラック、
その隣は白いディノのGTS
その隣は308GT/4です。
IMAG0192.jpg
BBの後ろも308GT/4ですね。
この当時、かなりな数のGT/4を仕入れておりました。
後ろにたくさん並ぶのは、ベンツの450SLC
これも数多く売りました。
この頃は私もドイツなど行ったことが無かったので
一見3~4万キロに見えるベンツが メーターを見ると軽く10万キロを超えているのを
見て驚きました。
IMAG0191.jpg
シーサイドから車で10分くらいの港に面してあった、この保税倉庫に
日本の1号車のカウンタックLP400やら 365BBの新車が
始めて日本の土を踏んだわけです。

車がものを言えるなら、なんだ はるばる海を渡ってやってきたら
日本てこんなところだったのか、と嘆いたことでしょう。

プロフィール

CASTEL AUTO

Author:CASTEL AUTO
「子供の頃から純粋に車が大好きだった」

そんな無邪気な少年は自然の成り行きで
1974年、伝説のシーサイドモーターに入社。
49年経った現在も車に対する愛情と情熱は冷めやらぬまま
今日もひたむきに走り続けている。

キャステルオート
鞍 和彦

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