皆さん おはようございます。
ランチャのラリー世界選手権、(WRC)制覇を目的として作られた
たぐいまれなヒストリーを持つ、このストラトス。
でもそのストーリーには数奇なものを含んでいます。
ホモロゲーションを取るために
最終的に生産されたのが、総数492台。
ところが、その生産直後、工場のあった
ベルトーネのグリルアスコ工場が火事に見舞われ
その5分の一が消失したというのです。
なんともったいないことでしょう。
その結果、残ったストラトスは400台未満。
ということは、現在当社にある、このオレンジのストラトスも
その災難を逃れた残りの 393台の内の1台ということです。
なんだか最初から波乱含みですね。
現代では考えられない一人一人の各々の専門家が集まり
この個性的な車を生み出した、
しかも肝心のエンジンは当時のランチャの主力であった4気筒では勝てないと
そう判断した首脳部が、フェラーリの親分、エンツォに直訴して
同じイタリヤ人同士、しかもレース好き。
それで丁度生産が終わったディノ用のV型6気筒を追加生産してもらった(500台分)
(ディノは1973年に生産終了、ストラトスの生産は1974年から)
この話だけでも車好きなら1時間は話ができるでしょう。
そんなストーリーに
車好きはとても惹かれるから、この車は人気があるわけです。
さて、今日は前回当社でレストアを行った時の模様を紹介しましょう。
まずはボディワークです。
ご存知のようにこの車は大半が軽いファイバーグラスで作られています。
センターセクション(屋根など)エンジンフレームワークなどは
スティールです。
ですので、まずは面出しという表面の均等な面を出す作業から
始めました。
ご存知のようにファーバーはかなり面が荒く、しかも
この車は元々レースカーとし作られているわけですので
一般の市販車のような丁寧な作りではありません。
ですので、結構この作業は大変でした。









話は変わりますが、
昨今のビンテージブーム。
それの影響か最近はオリジナル嗜好が強くなったと言われます。
まあ、それは良いのですが
一例として判り易い車で ディノ。
この車は まず1968年に206が150台生産され
その後、L型、M型 E型と作られたのは少し詳しい方ならご存じですよね。
ところが問題があるのが、その生産された時期
L型で1970年、その後、E型が生産終了するのが 1973年
ということは最終のE型でさえ、2014年の今から41年も前の事。
どんなクルマでも40年以上経てばボロくなるのは当たり前。
しかもディノの場合、昔は12気筒と比べたら、かなり価値が無いと
言われたモデル。
だから、いわゆるぞんざいに扱われた、
また保管されたディノがほとんどだった訳です。
最安値の時、1980年ころ、350万くらいで売りに出ていました。
そういうわけで、何回も下手な塗装をされたり
内装もいい加減に張り替えられたり、
まともにオリジナルを保っているのはごくわずかです。
ところが現代、いざその修復、一歩先でレストア?
それらを請負う人は一体何歳?
仮に45歳としても ディノはもう40歳以上。
ということはその人間が5歳の頃生まれた車を相手にするということ?
5歳といえばまだ幼稚園でしょう。
そんな彼らが俺はディノの事は知ってるぜ?
何処をどう知っているのか聞いてみたいものです。
特に私がムカつくのは、とうもろこしの名前にSをつけた会社。
そこのしょっちゅう入れ替り立ち替りしているメカニック。
あんたらはどこでディノの知識を覚えたの?
また、何台のディノを触ったの? という話です。
その会社が正式にフェラーリのディーラー権を取得したのは
1980年ころ。
その時点でディノの生産終了から7年も経っているわけです。
もし、1980年から現在まで34年間、そこのメカニックとして
勤続し続けている人がいるのなら、紹介してください。
多分いないでしょう。
ではこの私、1974年にシーサイドに入社し
まだ数台しか日本に存在しなかった、ほとんどオリジナルのままの
ディノを見た、乗った、売った、走った 経験があります。
しかも10台以上。
当時そんな経験を積んだ車屋が今もいるか?
答えはゼロです。
ですので、誰が正しい事を説明し、判断できるかは
誰でも判りますよね。
そこいらにいる、もっともらしい物知りのような男の
話に頷いてはいけません。
正しい、説明ができるのは事、ディノに関して日本では
私だけだとはっきりと断言しておきます。
もし異論があるなら連絡ください。