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人生は期待と失望の連続だ。

皆さん おはようございます。

前回2003年のコンクールイタリアーナに遠い日本から車を運び
そのかいあってか、ピープルズチョイスに選ばれたところまでお話しました。

ランチタイムを過ぎて、いよいよ本番のコンクールの審査の順番が
回ってきました。
ディノだけでも10台はあったので、時間がかかるのです。
審査員はフェラーリクラブオブアメリカのメンバー。
ジャッジペーパーを片手に持っていろいろ見ています。
私へのリクエストは エンジンをスタートしろ、ヘッドライトをつけろ
シリアルナンバーを見せろ と一応型どおりです。

特別なにもコメントなしで去ったので評価が良いか悪いかは判りません。
ただ、ピープルズチョイスに選ばれたのは知っているみたいで
期待が持てました。
その後、暇なので隣のディノのオーナーと話をすると
彼らは(夫婦)今年で4年連続で同じ車で参加とのこと。
毎年、ジャッジからマイナスのポイントを指摘され
それを直してきているんだと言いました。
私がみても、まあまあ普通のレベルのコンデションです。
今年で4回目だからなんとかプライズを取りたいんだ と。

それを聞いて私は
やはりそうか、ここはアメリカ、つまりアメリカ人のためのイベント
アジアから来たビジターに簡単にプライズをくれる訳はないなと。
例えば、逆の立場で日本で行うイベントに香港かどこかの人が
車を持参しても、まずは日本人の車を優先するでしょう。
人が審査するのですから、当然優先感情がありますよね。

午後の3時くらいになって再びジャッジがやってきて
賞を取った車のフロントウインドウにそれぞれのプライズを
書いた紙を貼っていきます。
私達のディノはスルーして、隣のさっき話したディノに
シルバーの賞を書いた紙を置いていきました。
勿論、その夫婦は大喜びです。
あなた方も来年また来たら と言われて苦笑いするしかありませんでした。

これが1回目のチャレンジ。
次の年、同じオーナーに今度は206ディノを買ってもらい
それで再挑戦する話になりました。
理由は前回は様子見で仕方ない、
次回は確実に賞を取れるやり方、車で行こうという話になったのです。

皆さんご存知のように 206ディノは、いわばディノのプロトタイプといっても
良い車であり、生産台数もわずか150台。
ディノの総生産台数の3500台からするととても稀少なモデルです。

最大の特徴は総アルミのボディ
エンジンのブロックまでアルミ製。 (その後の246はそこが鋳鉄)
ボディの全長も12センチ短く、インテリアも異なります。

私もオーナーもこれを審査員が好むような仕上げをすれば
賞は間違いなく取れるだろうと。
つまり、ボディカラーも当時のオリジナルの少しくすんだイエロー
ラインもオリジナルに忠実にぼやけたようなラインだし、
インテリアも当時の再現のセンターにモケットを用いるなど
細かいところまで気を配りました。

特筆は前後のバンパー
購入した時の その206はオリジナルの細いものではなく
後期の246タイプの太いものに変えられていました。
1968年製造のバンパーなど部品であるわけがありません。
どうしたか? 当然作りました。
これがかなり難しい板金の仕事。
でも板金マイスターの大田板金の職人は完璧に作ってくれました。

その次の難問はマフラーです。
おそらく全世界の206の中でオリジナルマフラーが着いている
個体は3割ないでしょう。
246とは形状が全く違います。
ただ、マフラーは消耗品です。
大体、20年ももてば良いほうです。
ですので、汎用品が多い246のものに大概変えられているのです。
どうしたか?
当然作りました。 完璧に。丁度腐っていた206のマフラーが
ストックであったのでそれを腕の良いマフラー屋に持って行き
切開し、中の構造を確かめ、全部再現しました。
勿論遣う素材はオリジナル通りの鉄です。
ステンレスでは音質が変わります。

詳しくは 当社HPのディノクラブ ナンバー2の206クラブを参照
イベントに間に合うギリギリで車は完成し港へと運びました。
話は次回へ。

プロフィール

CASTEL AUTO

Author:CASTEL AUTO
「子供の頃から純粋に車が大好きだった」

そんな無邪気な少年は自然の成り行きで
1974年、伝説のシーサイドモーターに入社。
49年経った現在も車に対する愛情と情熱は冷めやらぬまま
今日もひたむきに走り続けている。

キャステルオート
鞍 和彦

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