マセラーティの続きです。

皆さんおはようございます。

今日はマセラーティの新車で日本に来た最初の車
ボーラのお話、その続きのメラックの話です。

実際にはその少し前に(1970年ころ)
神戸のかなりのお金持ちの方が、自分自身でマセラーティにオーダーを入れ
新車のギブリを買われたことがありました。その車は
濃いブルーで、私がシーサイドにいた時に、整備を依頼され
見たことがあります。
今は偶然ですがその車は東京の私と親しい方が持っていらっしゃいます。

ここでのお話はシーサイドが正規のディーラー権を取得してからの話です。
前回お話したように、ボーラはそれまでのモデルなどとは全然イメージが
異なる車でした。

まず一番の違いがエンジンをフロントからミッドシップに変更したこと。
ただ、エンジンそのものは前身のギブリと同じ物でした。
ですので、V型8気筒のエンジンはトルク重視のスポーツライクではないものです。
つまり低いギヤーでエンジンを回していっても
トルクは並列で持ち上がるような感覚は無く
回しても面白くは無い代物でした。

私としてはフェラーリのディトナなどの完璧にスポーツカーと言える
エンジンを積んだモデルを経験しておりましたので
このボーラは中途半端な車だなとすぐに思いました。

それでも1975年になると続々とイタリアからはボディ 一面に
まるで蝋のようなワックスをべた塗りした新車が入ってきたので
セールスとしてはなんとか売るしかありません。

幸いそのころは、まだミッドシップと言う車自体が珍しかったので
また、ランボルのミウラはありましたが、あちらは個性が強くて
一般人には敬遠されていたため、
新車のボーラは売れる理由があったのです。
それでも新車で輸入したのは7~8台くらい。
たいした数ではありませんでした。

ある時、東京のお客様にボーラを売った私は整備で預かりに行きました。
まだ、今の様なローダーなど無い時代です。
場所は青山です。
乗り込んだ私はなんかブレーキがおかしいなと思いました。
専用オイルのLHMの圧力低下の警告灯が付いていたからです。
前にもお話したようにこのボーラからブレーキやヘッドライトの昇降など
シトローエンの専売特許のシステムを用いております。

なので、ブレーキペダルは唯のスイッチ、
押すと少し抵抗があって、跳ね返すようにプシュと言います。
マニュアルには、もし圧力が低下して警告灯が付いたら
30回までしかブレーキは効かないと書いてありました。

青山から横浜まで、ブレーキ何度踏む?
100回くらい?
どちらにせよ、30回では無理でしょう。
麻布辺りまで来て、もうすでに5~6回踏んでいます。
怖いのは、このシステムは一旦圧力が下がりきると
全くブレーキが効かなくなることです。
このズングリむっくりした車をサイドブレーキで止めるのは無理、
そう判断した私は慎重に車を転がしながら極力ブレーキを踏まないようにして
空いている駐車場を探しました。
今と違い、便利なコインパーキングなどありません。
幸い近くのビルの時間駐車の看板がありましたので、
私はそこへボーラをすべり込ませました。

この車の欠点はそのブレーキシステムだけでなく
視界が悪いのもその一つでした。
ドライバーシートがかなり低い位置についており
しかもサイドのドアーパネルが肩付近まであるので横の視界もよくないと、
真後ろはかなり角度のついたガラスルーフになっているのですが
けして見やすくはありませんでした。
斜め後ろも最悪、ドアーについたミラーで確認するしかありません。

なので高速でもレーンチエンジに気を使うし
街乗りは視界の悪さで疲れる、そういうパターンでした。
結局、この車はスタイル以外では褒めるところが無く
その結果、今一つ人気が出ないまま生産を終えました。

例えば誰かにこの車を買いたいとかで相談が来たら
私はやめとけと言います。
理由は製造からすでに40年ちかく経過し
一番の欠点のハイドローリックシステムがより弱く、劣化しているからです。
これは治してもキリがなく、悪循環のパターンになります。
せっかく、名門の家系に生まれ当時のエンジニアが精魂込めて作った車ですが
時代の波に乗れなかった
そういう悲しい車です。





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