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人は死して何を残す?

皆さんおはようございます。
昨日から少し気が滅入り、あまり気力がありません。
理由は、私とも親しくさせて頂いていた長いお付き合いのお客様が亡くなったからです。
享年72歳でした。

この方とはまだ私が一人でブローカーをやっていた、1980年の後半に
知り合いになり、その後多数の車を、それも高額な車両を買っていただきました。
一例を上げると、
ベンツの300SL ガルウイング 同ロードスター
ベンツ 280SE3.5 カブリオレ
ベンツ 280SL
ベンツ 300S
ジャガー XK120
ポルシェ 550スパイダー
AC コブラ 289
など、但し全車完璧なフルレストアの個体です。
そのためにだけでも私は何度もアメリカに足を運びました。
レストアの監修をするためにです。

そのほかにも忘れられない車があります。
フェラーリの F40 新車

先程も言いましたが、当時私はブローカーで店もないし、工場もない
信用されるべきものは何もないのにも関わらず、
この方は全て現金で前払い。
2代目のボンボンとかではなく、叩き上げの実業者。
東京近郊にホームセンターを何店も展開し、商売にはとても厳しい人でした。
しかし私を可愛がって下さり、何かにつけては食事をご馳走になったり
好きな車の話でいつも盛り上がりました。

その忘れられない F40の事件が起こったのは1992年ころの話です。
皆さんご存知のように日本列島は1989年のバブル真っ盛りを経験し
私も泡踊りに明け暮れました。
最高値で2億を付けたこのF40もまだ記憶に新しい話です。
でもさすがのバブルも、1990年を過ぎて急激に泡も減少しました。
それに伴い、車の価格も急激に下がったわけです。
当時の販売記録を見てみると、
普通のテスタロッサが 3000万
512BBが5000万など 途方もない値段です。

1992年になり、ようやく相場が落ち着いたので
この方と前から気になっていたF40の話をしました。
値段は 4000万から5000万くらい。 残っている新車で。
その後、この車は2500万くらいまで値段を落とします。

依頼を受け、調べたらアメリカのヒューストンのフェラーリディーラーが
ヨーロッパ仕様の新車を持っているという情報が入りました。
しかも車高調まで付いているという。(当時オプション)
なので私はすぐに飛行機を予約し、現地に飛びました。
ヒューストンはアメリカの中西部にあり、特に目立った産業はありません。
唯一有名なのが、NASAの管制基地があるくらいです。
私も始め勘違いし、そこからロケットを打ち上げているのかと
思いましたが、実際は打ち上げはフロリダの基地から打ち上げ
管制をここで行うという仕組みでした。

現地のディーラーに着くと、ショールームに真っ新のF40が置いてありました。
すぐに買い付けの話をすすめ、無事に契約を終えることが出来ました。
もう気分はルンルンです。
翌日にはNASAの見学を行ったりして帰路につきました。

ところが私の車屋稼業でも最大のピンチが訪れたのは
その後でした。

続きます。

プロフィール

CASTEL AUTO

Author:CASTEL AUTO
「子供の頃から純粋に車が大好きだった」

そんな無邪気な少年は自然の成り行きで
1974年、伝説のシーサイドモーターに入社。
49年経った現在も車に対する愛情と情熱は冷めやらぬまま
今日もひたむきに走り続けている。

キャステルオート
鞍 和彦

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