皆さん おはようございます。
毎年この時期になると、私の住むマンション前のグランドで
老人会主催の秋の大運動会が催されます。
横浜市の老人会(名前が悪い、シニアクラブとか言えば良いのだが)
からたくさんのシニアが集まり、ゲートボール、玉入れ、借り物競争など
内容は幼稚園のそれと同等です。
一口に言う 「老人の始まりの」 定義ですが
世間一般には 65~70歳でしょうか?
現在の男の平均寿命が80歳だそうですから、
70歳の場合、残りのカウントダウンがあと10年
それでも「織田信長」の時代は 50歳だったそうですから
現代に生きる我々は医療技術の発達などにより、寿命が延びました。
それは良しとして、
ならば、その分生きる価値、生きる楽しさ
などが比例して増えたのかという話です。
例えは悪いのですが、
当社のすぐ裏には「寿町 ことぶきちょう」と
聞こえは良いけど、ひと昔はドヤ街だったところがあります。
東京なら 山谷、大阪なら 釜ヶ崎、今はあいりん地区と呼ぶ。
その横浜版が 寿町です。
そこに、ついの住みかとして暮らしているのが
高度成長期日本を支えた建築関係の元労働者達。
元、というのは高齢化が進み殆どの人が70歳以上の「老人」
なので日雇いの仕事も無理、そもそも仕事自体が減少気味
どうやって生活するのか?
田舎に帰れる人は幸せですが、大概は帰る家もない
子供がいてもそっぽを向かれている。
ならば生活保護しかありません。
歩いて7,8分のところに
伊勢崎町という昔からの商店街があるのですが
寿町の住民は暇だからぶらぶらとそこを目指して歩いていく
自転車に乗ってるオヤジなど信号無視は当たり前。
歩いていくオッサンも急ぐ理由もないからとぼとぼと、、、
彼らに生きがいは有るのか?
と、一応まともな生活?を送っている私は考えます。
あるとき工場の前で、
ハトに餌をやっているお父さんと会話をしたことがありました。
彼はみすぼらしい自分の容姿には気を遣わず、
ハトと猫に餌を与えるのが毎日の日課。
その出所は生活保護の僅かなお金からでしょう。
私、「お父さん、動物にエサをやるのは楽しいですか?}
彼、「もちろんよ、これが俺の生きがいだから」
彼の頭のなかでは、俺が餌をやらないと、こいつらは死んじまう
こいつらを生かしているのが俺なんだ
そう自負があるのでしょう。
実際はもちろん違いますが。
私は思いました。
人間の生きがいなんて、どんな些細なことでも良い、
出来れば誰か他人、親兄弟でも良いが、その彼らのために
自分の存在意義があると思えれば最高。
猫に餌を与える彼の場合は、その対象が人では無く猫、ハトなだけ。
貴方は自分の周りを振り返ってみて、
誰に頼られていますか?
また、その人達のために自分の労働報酬を気持ちよく
分け与える気持ちがありますか?
それがしっかりと繋がっていればいるほど「幸せな人生」 でしょう。
離婚する夫婦は、お互いが必要とされなくなった、
とても単純に言えます。
A,周りに必要と思われて生きる道を選ぶのか、
B,俺は親族であろうが、他人であろうが頼りたくもないし
頼られたくもない。
貴方はどちらが望みですか?
私?私はもちろん「 」 のほうです。