皆さんおはようございます。
私が子供の頃というと、もう50年以上も前の話ですから
現代と時代背景が違うのは当たりまえ。
けれど、そこに暮らしていたのは
紛れもなく同じ日本人であり同じ地域の人々です。
年の瀬を迎えると、子供たちは正月にもらえるお年玉で
何を買おうかと、必死に考え
誰からはどのくらいのお年玉をもらえるのかなど、
子供心にワクワクドキドキしていたのを覚えています。
そして私の家は、大阪の下町にあったのですが、
近所の親戚のおばあちゃんの玄関口では、
裏の倉庫から石臼と杵を出してきて餅つきの準備です。
せいろを何段にも重ね、もち米を炊くと
何とも言えない良い香りがしました。
餅米を叩くのは義理の兄貴達
それを手際よくひっくり返すのはおばあちゃんと私のおふくろでした。
出来上がったお餅の中にあんこを入れたものを
練炭が入った火鉢であぶると
餅が焼けて中のあんこが火山の溶岩のように出てきます。
それをほうばるのが子供の私にとり、なによりも楽しい時間でした。
そして現代。
餅を臼で叩いて作る家は殆ど皆無でしょう。
近所のスーパーでいくらでも売っています。
親戚中が集まって、祝い事を楽しんだ時代では無くなりました。
核家族が当たり前になり、
子供たちも20歳を過ぎれば家を離れていく
残されるのは年老いた老人のみ。
今後日本は、益々その状況が激しくなるでしょう。
それと並行して物心ついた子供たちが世の中の決まり事
学ぶべきこと、それらを与える場が、
唯一学校という名の親にとっては
便利な場所に限定されてきています。
何か問題があれば、やれ学校の教育が悪い
同級生の誰それが悪いから
家庭内でするべき教育はおざなりにして、親の関心は自分のことばかり。
これでは筋の通った考え方のできる子供が育つわけがありません。
それらが何時ごろから始まったのか?
私は既にもう何十年も前からだと思います。
すると現在40歳代の人たちはどんな教育を受け、
どんな家庭環境で育ったのか? という話です。
例の日本全国泡踊りに明け暮れたのが1990年前後
とすると今の40歳の人たちには今から25年前
つまり15歳くらいから20歳くらい。
世の中お金がすべての価値を支配する
そんな考えが植え付けられても不思議ではなかったでしょう。
今の自分の価値基準と見比べてみる必要があります。
それと同時に失ったものが日本伝統の「家族」のきずな。
現代の社会情勢、政治の方向性
どれをとっても曲がり道だらけで、直線の筋が見えません。
最近の時期東京オリンピックのメインスタジアムの
作り方、論議の仕方がその典型的な例です。
一体誰が総責任者なのか?
誰がお金の、費用の管理者なのか?
皆さん即答できますか?
実に情けない話です。
つまりこの日本国は政治も経済も3流になりつつある、
あるいはもうそうなっている、
その土台が、それを形成しているのが今の日本人であると
自戒しなければなりません。
戦後日本を長く統治した米軍の総司令官
マッカーサーはいみじくも回顧録でこう言いました。
日本国、日本人は我々アングロサクソン人と比べると
我々が40歳代であるとすれば、彼らは12歳の少年だと。
その言葉の背景にあるものは非常に複雑なものがありますが
少なくても、戦中は天皇陛下万歳と、自分の命は2の次で
戦った日本人が、終戦を迎えると非常に素直に米軍の統治下に従い
マッカーサーのいうことを全面的に受け入れた。
その従順さ、変わり身の早さに彼は「12歳の少年」
そういう印象を受けたのでしょう。
事実、彼が戦後まもなく起きた 朝鮮戦争の指揮の問題を巡って
(彼は北朝鮮を再度核爆弾を使用して倒すべきと進言した)
時のアメリカ大統領 トルーマンに解任されましたが
彼が帰国の途に就くために羽田空港への
沿道には数万人もの日本人が別れを惜しんで手を振ったと言われています。
これを見ても日本人が強いものには弱い、
体制に追随する。
その性格がよく表れているでしょう。
そして戦後、マッカーサー以後、
この日本国に強力なリーダーシップを取る政治家は現れましたか?
これが現代のすべての実情を物語っています。
つまり日本国は戦後いまだに漂流しているということです。
来年こそは一筋の光明を見つける
そうなってほしいものです。