皆さんおはようございます。
先週の土曜日、同窓会に出ました。
場所は新宿歌舞伎町の居酒屋
時間は夜の6時。もの凄い数の若い男女がうごめいていた。
そこに有るのは、欲、つまり性欲と金欲。
女はこれでもかと言うくらいのミニスカートで男を挑発し
キャバクラの店の前で呼び込みをかける。
一方男はどこか冴えない男ばかりが目に付く。
派手なのはホストの男だけ。
つまり歌舞伎町は女が支配している街
無論それを裏で操っているのは、表には出ない夜の商売のオーナー達であり
最近では中国マフィアであろう。
それに引き換え、私の同窓の男たち
歳は62歳、定年を過ぎ第2の人生を歩み始めた連中だ。
無論 歌舞伎町に合うはずもない
私は今から42年前、東京都立航空高専 原動機工学科を卒業した。
とは言っても、勉強はからきしダメ、
毎回のテストでは周りの優秀な仲間にカンペを送ってもらい
ただ、それを書き写しただけ。
苦手な設計製図に至っては、優秀な奴が作成した完成図を
トレーシングペーパーでコピーして提出するという技も使った。
なので周りの連中は卒業と同時に、トヨタ、ホンダなど自動車メーカー
あるいは日本航空、全日空などの技術者の卵として旅立って行った。
私? 私はその時点で2回も落第している落ちこぼれ。
卒業もいわばお情けでさせてもらったようなもの。
なので、まともな会社に就職出来るわけは無く、
全くあても無くバイトで食い扶持を稼ぐ日々だった。
もしかしたら雇ってくれるかと思い、面接を受けた当時のフォードの
代理店、近鉄モーターもあっさりとダメ
何でフォード?
当時は(1974年)外車と言えば アメリカ車
ベンツ、ポルシェなどは敷居が高く はなから無理
フェラーリ、ランボルギーニ?
そんなの日本に有るの?
そういう時代だった。
それから42年、日々の年月は否が応でも変化を求め
皆の髪の毛は白髪が目立ち、何より定年を過ぎて
各人の生き方にも大きな変化を与えている。
右の若作りが私。



毎日家でぶらぶらしていても仕方が無いと
タクシーの運転手を始めた奴や、マンションの管理人だとか
意外と私の様な自営業で生きてきた輩は少ない。
そんな仲間を見ていて思うこと、
会社員、つまり雇われている立場でいると
やはり制約が多く、どうしても人間的にも小さくなる。
その代わり年金を始めとするある程度の保証も付いてくる。
たまたま私の場合はある程度成功と言えないまでも
自分の会社を興し、42年間も好きな道で歩んでこれた。
人生の選択とは否が応でも時間が付いて回る。
つまり無駄なこ時間を過ごしても人生、
有益な時間を過ごしてもその人の人生
結果はおのずと現れるということ。
今、40代の諸君にアドバイスすることは、
「人生の中で40代は特に大事だよ 」
ここであと20年後の人生を模索するのと
そのままダラダラと過ごすのでは60代になった時決定的な違いが出る
それを私は同窓会で仲間の面を見てそう感じ取った。
同窓会も人生を振り返るには役に立つ。