皆さん おはようございます。
前回、仕事とは求められて初めて成立、
意味があるものと書きました。
当社は車屋。
しかも、そこいらの道路傍に置いて売れるような類の車では無い。
金額も非常に高額。
だから、そう簡単にビジネスチャンスが訪れるものではありません。
しかもこの不景気な日本経済の中、
さらに追い打ちをかける様な世界情勢の不安定要素。
私以外の男がやっていたら、とっくに倒産しているでしょう。
そう言うと一部の妬む輩は、
「キャステルの社長はいつも偉そうな事を言いやがって、、、」
でもこうやって、キャステルが創立36年間も続けてこられて
沢山の良いお客様に恵まれ、
経営的にも安定し、(毎年経常黒字)
社長の私自身も2台のベンツを乗り回し (E55 AMG, SL63AMG)
従業員にもしっかりとボーナスを出してきた
これが事実であり仕事に対する、世間からの評価です。
前回私は「自然体」で仕事をこなしてきたと言いました。
ではその実態は?
1987年以降、勿論自分の実費で
海外の殆どのフェラーリ、ランボルを扱う
ディーラー、コレクター、オークションを訪れ、
毎年成田から出た回数は平均して5回なので、
今年までとして29年間、5かけたら=145回
1回の渡航の費用、旅費が50万としたら=7250万
これが事実です。
これが私の仕事に対する「自然な仕事のやり方」
当然、マラネロにも15回以上、ボローニャ(ランボルの工場)にも5回、
それはそれらを売っている自分の最低限の「務め」と考えているから。
なのでここで私が言いたいことは、今までの実績、それに伴う行動が全て。
それが反映されているのがキャステルオート
そういうことです。
その地盤を元にした状態で客を待つ。
これしか私に出来ることはありません。
簡単に言えば、
「
日本一の経験、実績を持つ当社に本当に良いものが欲しければ尋ねて来てくれ」
このフレーズです。
どんなにデカくて近代的な工場があろうと、
私のたった3台しか入らない
キャステルの工場が作り出す車のクオリティは絶対に負けません。
理由は?
リーダーが私だから。
とても簡単な理由です。あまり人の事を言うのは、よくありませんが
例えば現在の日本のフェラーリオフィシャルディーラー 「コーンズ」
ここは1978年頃に細々とフェラーリを扱いだしました。
丁度、308の頃。
日本仕様、すなわちアメリカ仕様であったその308は
エンジンに強力な排ガス規制をかけられ、バンパーも醜いでかい物を装備
それは置いといて、当時そこにいたメカニックは今もいたら何歳?
当時、25歳の男として現在63歳。
もう定年でいないでしょう。そもそもそんなに長く勤めているコーンズの
メカなど聞いたこともありませんが。
仮にそこに1970年製の「ディノ」を整備ならともかく、レストアに出すとする
誰がオリジナルを知っているの?
という話です。
私がシーサイドに入社したのが 1974年の4月
まだ新車に近い「ディノ」が何台もありました。
ディノの最終生産年は1974年の春頃。
やはり仕事は経験に勝るものはありません。
今まで販売したディノの数、100台以上
そのうち206が15台、
レストアした数は30台以上。
この「数が全て」です。
是非、興味のある方は当社を訪ねてください。
従業員一同温かくお迎えします。
これが今回 南アフリカからはるばる空輸したカウンタックです。
私は良いものがあれば世界中どこへでも行きます。






私に仕事の国境はありません。