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ミウラは永遠の名車か?

皆さんおはようございます。

私もこの仕事を43年間も続けてきましたが、
過去に一番衝撃を受けた車は間違いなく 「ミウラ」です。
大概の人が言う、「カウンタック」ではありません。
その車とのファーストコンタクトは、私がシーサイドモーターに入社し
その年の(1974年)の6月頃でした。
新社屋のビルを建設していたので、仮の事務所を同じ国道1号線沿いに
借りていたのですが、その狭い駐車場にある日突然ミウラは轟音と共にやってきました。
私はまだ入社して2ヶ月、横の倉庫にはアメ車が数台と
前を事故したマセラーティのギブリ、知らない人も多いでしょうが
イソ、グリフォ、パンテーラなどがありましたが
ミウラを実物で見たのはその時が初めてでした。
第一印象はやたら低い車だな、と。
今は慣れて見るからそんな感じはしませんが、当時としてはかなり車高が
低い車だったわけです。
降り立ったのはサングラスをかけた中年の渋い男性。
メカニックと何かを話していましたが、私は好奇心一杯で見るだけ。
すると話を終えたその人があまりにのぞき込んでいた私を見かねたのか
「あんたはまだ新入りか?この車知ってるのか?」
と声をかけてくれました。
「実物で見るのは今回初めてです、本当にかっこよいですね」
そう答えました。
するとその答えを気に入ったのか、その人は
「少し横に乗ってみるか?」
と言ってくれました。
断る理由もない話です。私は上司の営業課長に許可を貰い
恐る恐るミウラの助手席に滑り込みました。
外見もそうですが、この車はインテリアもデザインが素晴らしい、
当時のフェラーリはかなり常識的なデザインのコクピットでしたが
この車は独創的な印象を受けました。
オーナーがキーをひねると、瞬時にエンジンがかかり
ブリッピングのサウンドも最高に乾いた良い音でした。

会社を出て国道を1速で加速です。
その音は聞いたことが無い、一言で言えば「頭の脳みそが震えるような」快感でした。
それはその時から43年も経った現在でも私はミウラに乗る時にそう思います。
別の意味で言えば、その「快感」を感じられることがミウラのミウラである条件。
私は常にキャステルから納車するミウラにはそれを厳しくメカに求めます。
日本人で私ほど数多くのミウラと接し、販売し、走らせてきた男は私だけ。
その自負からです。
オーナーは2速、3速と加速し、私は直ぐにミウラの虜になりました。
未だに貴方の一番好きなスポーツカーは?
の問いに即座にミウラと答えるのはその時からの流れです。

シーサイドからキャステルに至るまで、走らせたミウラは約50台。
P400、400S, SV, イオタまで全ての車種に渡ります。
この車の運転のポイントは、エンブレムのとおり、
闘牛と戦う気持ちでアクセルを踏めと、
3000、4000回転位でアクセルを緩めては本質は分かりません。
7000回転まで回して初めて闘牛らしく角を出す
そういう車です。
自動車評論家の西川淳さんを隣に乗せて走ったことがありますが
私が1速で躊躇なく7000まで回すと
「こういう運転は真似できんわ」と京都弁で言いました。

残念ながらここ数年で価格が高騰し、高値の花になってはおりますが
私が触れることができる限り、ベストなコンデションを維持していきたいと
思います。
どんな相談でも受け付けます。
日本で一番ミウラの事を知っている私にお問合せ下さい。
イオタで横浜と神戸を数度も自走で走ったのも私だけでしょう。

現在私が勧めるミウラもご紹介しておきます。
400SのSVに改造した個体です。
勿論フルレストア。
今年の1月に私が現車を見ています。アメリカにて。
作業を行ったのは全米で一番と言われる
サンディェゴのボブレフカーズ
この人とは私は10年以上の付き合いです。
http://bit.ly/2c9L78s

プロフィール

CASTEL AUTO

Author:CASTEL AUTO
「子供の頃から純粋に車が大好きだった」

そんな無邪気な少年は自然の成り行きで
1974年、伝説のシーサイドモーターに入社。
49年経った現在も車に対する愛情と情熱は冷めやらぬまま
今日もひたむきに走り続けている。

キャステルオート
鞍 和彦

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