生きた足跡 その5

皆さんおはようございます。

前回まで並行輸入自由化の波に乗って
商売繁盛が永遠?に続くと思い、
銀行から多額の借金をして
デカい10階建てのビルを建てたところまでお話しました。

話は逸れますが。。
私の友人に「南原」と言う人物がおります。
彼と初めて出会ったのは、1984年頃
名古屋の郊外に住む彼は、
自分のマンションの部屋を拠点とするブローカーでした。
直ぐに意気投合し、
一緒にロンドンまで遊びに行く位の仲になりました。

彼は立身出世では無いですが、
常に商売の拡大を考察し、時代の流れを読み、
自分の出来ることは何でもトライする、
そういう行動力に長けた人物でした。

己晴さんが時代の波に乗ってサーフィンをするとすれば
彼はジェットスキーで人の先を行くタイプ
そのうち自慢の交渉力を活かし、
ローバーの代理店を取り、ボルボの並行輸入、
メキシコからオリジナルのビートルの新車輸入など
ありとあらゆるチャンネルで商売を拡大させました。

最盛期には従業員が100人いたと。
ところが、時代の波、時代の風は常に変化します。
シーサイドのアメ車輸入と同じように、
一時期流行ったボルボのステーションワゴン、オリジナルビートル
これらも数年の間に波が去り、残ったものは長期在庫
なので、彼は常に新しい車種、
新しい車以外のビジネスに翻弄されておりました。

テレビ番組「マネーの虎」に出演して、
起業家を目指す若者に、
辛辣な言葉をかけていたのもこの頃です。
ではその頃から30年が経った現在、彼の残した痕跡は?

まだ結論を言うのには早いと思いますが、
苦労しているのは事実でしょう。
つまり彼ほどの才能、行動力、ある意味カリスマ性があっても
一つのビジネスを成功させ、なおかつ10年20年30年と続けていくのは
並大抵のことでは無いと。

ここで少し自画自賛
当社 キャステルオートは創立以来37年の月日を生き延びてきた。
そのわけは?
シーサイドを反面教師にし、常に無理をしないで来た。
というか無理出来るチカラが私には無かった。
バブルの時もなんとか持ちこたえた。
ディノとかがようやく日の目を見るようになり、
レストアの真似事から始めることが出来た。 などなど、、、
つまり常に地味な商売。

人世に「イフ」は有りませんが、
もし仮に己晴さんに少しでも慎重さがあれば
シーサイドモーターは今でも続いていたかもしれません。
現実は1974年の9月にビルがオープンしたものの
ショールームに立ち寄るお客は今までの馴染みの客だけ。

新規のお客は外から眺めているだけで、
ドアを開けようともせず、
毎日、綺麗なショールームのソファーは、
己晴さんを中心とした友人達の雑談の場でした。
私達営業はそんなお客とも言えない様な人だとしても、
先に帰る訳にもいかず、
毎晩9時頃までウダウダと時間を過ごしておりました。
そういう人たちは大概、6時過ぎに来るからです。

そうなると当然経営は苦しくなります。
ビルの返済金、従業員の人数(最盛期で35人)
これらは待ってはくれません。
その頃、私がよく覚えている「カーグラフィック」の広告
完全なイメージ広告です。
「横浜の潮風に吹かれてイタリアから名車がやってきた、、、、」
など、私には妙に軽く感じたものでした。

続く
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