カウンタックの話題 その1

皆さんおはようございます。

1974年の秋に日本初上陸を果たした ランボルギーニLP400
通称名は カウンタックでしたが、
次の年の春に行われた輸入車ショーでは、たいした反響は得られませんでした。
けれども私が丁度その頃知り合った、池澤さんが描いた
「サーキットの狼」が少年ジャンプに連載されると、
たちまち人気漫画となり、そこで出てくる車が実際にどこへ行けば見られるのか
そういう話題が子供たちの間でもちきりになりました。

というのも、まだ1975年頃はその漫画に登場する
ロータスヨーロッパを始めとして、フェラーリの「ベルリネッタボクサー」 通称BB
そしてディノ、ディトナ、
ランボルギーニからは ミウラ、そしてこのカウンタックと
まだ日本の道路で見ることはまず不可能な車ばかり。

これらを取り扱う車屋としてはシーサイドを筆頭に、
世田谷にあったローデム、そして
田園調布の「オートロマン」これくらいでした。
なので東京以外の地方に住んでいる子供からすれば
正に、「幻の車達」
なので、この年の秋に開催された恒例の「モーターショー」に
シーサイドが外車コーナーで、一台はマセラーティのボーラ
もう一台、2号車の黄色のカウンタックを展示したら
えらい騒動になりました。

その時ボーラは地面にそのまま、
カウンタックだけを少し高い台に乗せたのですが
一目見てカメラに収めようと、子供だけでなく、大人までもが押し寄せたのです。
私は会場担当で整理に当たっておりましたが、
あまりの人でチェーンを掛けていた柵が押されて曲がりはじめ
かなりヤバイ雰囲気になってきました。

私は自衛のため?
これ以上は危険と判断して車にボディカバーを被せました。
前代未聞の事です。
そうしたら、当然お客さんが文句を言いました。
俺達はお金を払って見に来ているんだ、
何で隠すんだと
そこで私は仕方なく、台の上に上がり
ハンドマイクを使って、
皆さん、この車は日本にまだ2台しかない車です
それを持ち主の好意でお借りして来ているので(オーナーは前項の安田さん)
傷を付けたりしたら大変です。
どうか無理をしないでご覧ください。それがボディカバーを取る条件です
そう言いました。
もう一台のボーラは柵が無かったため、もう触り放題でベタベタ。
その後の長い私の展示会の記憶でこれが最初で最後でした。
それくらい この時は人々の興味がこの車に集中していたわけです。

その後のスーパーカーブームは皆さんよくご存じの通り。
カウンタックがそのブームの立役者と言って過言では無いでしょう。
その頃、そのブームを引き起こした池澤さんはどんな車に乗っていたかって?
私と知り合った1974年頃、彼はなんとディノを初めに買いました。(友人から)
次にロータスヨーロッパを購入、
これがサーキットの狼の源流になるわけです。
次はポルシェの930ターボをミツワから新車でオーダー
私が担当だったシーサイドから初めて買って頂いたのが
意外にもマセラーティのメラック

今は杉並に立派な家を建てて住んでいますが、
その頃は東京郊外に建売を買われて、
家の横に屋根も無い2台縦置きのガレージ。
ブームになるにつれ子供が押し寄せました。
其処に行けばスーパーカーが見れると。
次に買ってもらったのが、フェラーリの365BBの中古、
これはカウンタック400Sの新車のオーダーを頂いて
納車までの代車のような役割でした。
でも後に彼が書いた自分の車ヒストリーで、
「この車となら死んでも良いと思った初めての車」
と書かれています。
確かにこの個体はヨーロッパで飛ばしていたのか
エンジンがメチャ軽くふけあがり、最高の車でした。

その後 池澤さんとは私がシーサイドが潰れてブローカーになった後も
お付き合いを続けて頂き、フェラーリの512BB、348、テスタロッサなどを
購入いただきました。
今でも時々電話でお話しますが、同じ時代を生きた男として
これからもお付き合いしていきたいと思います。
彼は私の2歳年上です。
なので、今年68歳。
例のブームから早くも40年が経とうとしています。


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