皆さんおはようございます。
上のタイトル通り、幾ら派手な車であっても広い東京で
1台だけを探すのは現実的に無理と誰もが思いました。
おまけに東京だけとは限らない、
千葉だったら、あるいは埼玉だったら?
そう考えると絶望的です。
けれど、当時の私には何としてでも車を見つける、あるいは見つけてやろう
そういう変な自信がありました。
その為に必要なことは? 1にも2にも行動あるのみです。
私は夕食を終えると、一人で荻窪から電車に乗り
原宿に向かいました。
原宿=輝ちゃん そういうキーワードが閃めいたのです。
原宿には夜の8時頃着きました。
そのころも今と変わらず、若者が沢山たむろしていました。
輝ちゃんを探すと、案のじょう、
駅から明治通りに向かう坂の途中で仲間と座り込んでいます。
前にはピカピカに磨かれたロータスヨーロッパ
彼らはアメリカンカークラブというグループで
週末やら日曜日に7~8台で集まって走りに行ったり、
ナンパしたりしていたのです。
私は早速、挨拶もそこそこに、今朝の事件を話しました。
そうしたらビンゴ!!!
予想は的中、昼間この坂を往復しながらガンガン走っていたよ
どんな奴が乗ってた?
なんか暴走族風のあんちゃん、みたいだった。
私は自分の予想がこんなにも的中するとはと驚きましたが
現実は意外とこんなものです。
ただ問題は、彼らが目撃していたのはその日の昼間。
シーサイドから盗んできたのが、早朝の時間
なので、かなりの時間彼ら、あるいは彼は乗り回していたことになります。
いい加減飽きてどこか地元にでも帰ったんじゃないか?
そう思いましたが、私は一縷の望みをかけて車を探すことにしました。
考えるより行動です。
ただやみくもに探すと言っても限界があります。
まだその頃は携帯も全く存在していない時代です。(1978年)
でも上手い具合に彼らは仲間同士で連絡を取り合う手段として
自動車無線を使っておりました。
たまにトラックで見かける、長いアンテナのあれです。
なので、私は直ぐに独断でカウンタックを見つけた人には賞金30万円を支払うと
言いました。 現在の貨幣価値で100万です。
そう言ったら彼らは喜んでナンパしているより面白い、と直ぐに協力すると言ってくれました。
そんなわけで無線で仲間にも事件の情報を伝え、
現場の7台と、仲間のその他10台以上が捜索に加わることになりました。
作戦会議を開き、繁華街を等分に分け、
原宿、青山グループ
銀座グループ
新宿グループ
渋谷グループ
池袋グループ
と言う風に分けました。その方が確立が高いと思ったからです。
時間は既に夜の9時過ぎ、
犯人は既に地元に帰っている可能性が高い
そう思いましたが、やれることをやる、するべきことをする
これが今も変わらぬ私の訓戒です。
そうして、夜の走査線ならぬ、夜の大捜索が幕を開けました。
髪の毛の黒いのが3年前の輝ちゃん

これが今年の輝ちゃん
髪が白い? 前は染めていたそう。

つづく