時は人を待たず。

皆さんおはようございます。

よく人生は20歳で遊ぶことを覚え、30歳で迷い、40歳で起つと言われます。
それなら今年で61になる私はどうなんだというわけですが、
皆さんはいかがでしょうか?
このブログを見ていただいている読者の方がたは大半が40歳台と思います。

この40歳というキーワードを考えるたび、思い出す人がおります。
俳優だった 和田浩二さんです。
彼は日活のニューフェイスで入社し、数々の映画に出演しました。
そういえば、少し先輩にあたりますが、小林旭さんも当時は映画スターでした。
私はご縁があって、シーサイドにいるときに何度かお会いしたことがあります。
小林さんもスポーツカーが大好きだったのです。
シーサイドが潰れる少し前くらいに
ランボルギーニのシルエットを買っていただきました。
濃いグリーンのメタリックだったのを覚えています。
ちなみに私は54台しか作られなかったこの車をシーサイドが入れた5台の新車
すべてを売りました。
車としては未完成の危うい車だったのを覚えています。

話は戻ります。
和田さんはシーサイドとの付き合い始めはディノでした。1974年の頃です。
黄色で下半分が黒に塗られ、そこに Dino 246GT と書かれた車は
当時生の写真などで私が売り、目にした方もおられるでしょう。
私はスタジオシーサイドという会社の共同経営者でもありましたので。

次にマセラーティのBORA が新車で入庫し始めると
和田さんはその中の濃いグリーンの1台を選びました。
六本木などでよく見かけたのは、1976年ころ。
公私ともに絶頂期だった彼は当時銀座のクラブでナンバーワンと言われた
クラブ順子の順子ママと結婚しました。

時は移り、1980年にシーサイドが潰れると目黒の柿の木坂に自宅があった彼は
自由ケ丘にあった、オートロマンによく出入りするようになりました。
このオートロマンという会社と私とは深い縁があるのですが、その話は次回にします。

そのころ私も自由ケ丘に住んでおりましたので、しょっちゅうお店に顔をだしておりました。
親友の阪口さんという営業がシーサイドからそこに移っていたからです。
今でこそ目黒通りには こぎれいな車屋が並びますが
当時ではオートロマンはかなり別格な雰囲気を持つ店だったのです。

次に彼が選んだのはフェラーリのBB,それもケーニッヒでした
初めに彼が買ったのはノーマルのBBインジェクションだったのですが、
当時オートロマンで本物のBBケーニッヒがあって、
それを見た和田さんが是非とも改造したいと言ったのです。

続く
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