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人も車も歴史がある。

皆さんおはようございます。

昨日とても珍しい方の来社がありました。
その方は、私がシーサイドモーターに在籍していた時
”カウンタックLP400の新車日本上陸3号車”を買って頂いたYさん
お会いしたのは1980年の時以来38年ぶり。
現在70半ばのYさんは、お元気そうでした。

カウンタックの1号車、ブラックメタリックが日本の土を踏んだのが
1974年の暮れ頃。
2台目は少し間が空いて、翌年の1975年の秋頃に入りました。
この年の10月には今はありませんが、
晴海の国際展示場で輸入車ショーが開かれました。
この時、前年に入りました黒のカウンタックを展示したのですが
それほどの人気は有りませんでした。

この日本1号車、黒のLP400のファーストオーナーは、
後にラスベガスのアラジンホテルを買収した「安田銀二さん」
安田さんは2号車の黄色が入ると、
すぐさま己晴さんと交渉し車を入れ変えました。
この黄色の2号車が翌年の1976年の定例のモーターショーで
大フィーバーを巻き起こす事になるわけです。

3号車のオレンジ色のLP400は1976年の春頃に来たと記憶しています。
この時オーダーを頂いたのは、前年の秋頃、
当時ミウラのSVに乗られていたYさんに、
出たばかりの新型のランボルギーニをご注文頂いたわけです。
ところがランボルギーニから生産が追い付かずと報告があり、納車が遅れ
Yさんに迷惑をかけてはと、通常イタリアのジェノバから船に積むのを
ミラノから航空貨物で運ぶことにしたのです。
当時はまだ成田空港は開港前
従って羽田空港に飛行機は着陸しました。
私と言えば1975年の1年間で営業職として急成長し?
この3号車も自分で売り先を見つけてきたと
かなり自信が付いている頃でした。
当然、私が引き取りを任され
羽田空港の貨物ヤードに入っていたオレンジ色のLP400と対面しました。
1号車がクロメタ、2号車が黄色だったので、
この3号車のオレンジはかなり新鮮に見えました。
私の記憶ではこの頃、メーカーに色のオーダーとかは出来ず
彼らが出来た順に各国にデリバリーしていた様です。
それでたまたま出来たのがこのオレンジだったと。

私は緊張の面持ちでエンジンをかけ、
隣にその時の通関業者の担当を乗せて横浜へ首都高羽田線を走りました。
LP400には、その後もそうでしたが工場デリバリーの時には
いわゆるドアーミラーは付いていません。 
この絵はその時、途中の東神奈川で降りて、保税倉庫の横の岸壁で撮影した時のもの。
今となれば貴重な写真です。
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マフラーカッターの色に注目、新車はメーカーデリバリーの時に
オレンジ色を塗っていた。これは当時の純正「ANSAマフラー」の特徴
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新車のエンジンルーム やはり綺麗
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スピードメーターの積算計は250キロを指していた。
つまり現地でそれくらいの走行テストをしていたという事。
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ステアリングの「ひも」に注意、
これは新車のみ現地のメーカーで付けていたもの。
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この写真の撮影は、当時私の友人だった市ノ瀬というカメラマンが撮影した。
まだデジタルではなく、フィルムの時代。
こうして、この3号車は無事に日本の地を踏んだわけです。

続く




プロフィール

CASTEL AUTO

Author:CASTEL AUTO
「子供の頃から純粋に車が大好きだった」

そんな無邪気な少年は自然の成り行きで
1974年、伝説のシーサイドモーターに入社。
49年経った現在も車に対する愛情と情熱は冷めやらぬまま
今日もひたむきに走り続けている。

キャステルオート
鞍 和彦

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