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社会現象にまでなったスーパーカーブーム

皆さんおはようございます。

例のブームの始まりは、皆さんがよくご存じの
池沢さんが描いた「サーキットの狼」に端を発します。
1976年頃、外国製のスポーツカーと言えば
ポルシェが主流で、その他はせいぜいロータス、
アメ車のコルベットもありましたが一部のモノ好きのみ。
つまりイタリア製のスポーツカー
フェラーリ、ランボルギーニ、マセラーティなどは
自動車月刊誌、カーグラフィックなどで見ても
実物など全くお目にかかれない時代。
たまたまシーサイドモーターは、社長「松沢己晴、その兄の美次兄弟」の
先見性?の賜物で、
当時誰も手掛けていなかったそれらを輸入販売しようとしました。
しかも大胆にもランボルギーニ、マセラーティ、二つのメーカーの
日本総代理店を取得と言う偉業?を成し遂げました。
己晴さんは勢いで、フェラーリの代理店をも取ろうとしましたが
当時極東アジア地区の強い権限を持っていた
イギリスの「マラネロコンセショナリー」の代表ホーン大佐が
ランボルギーニと同じくディーラー権を与えるのに異議を唱え実現しませんでした。
まだ、当時は香港の海運保険業が主であった、「コーンズ」が
フェラーリとの代理店契約を所得する数年前の話です。
それだけ松沢兄弟は、新しい物へのチャレンジスピリットがあったと
いう事でしょう。

一方、池澤さんは無類の車好き
サーキットの狼の前作 「嵐三匹」が終了し、次作のアイデアを練っていました。
自身はロータスヨーロッパ、ディノ、トヨタ2000GTと乗りついで、
新車のポルシェ930ターボをミツワにオーダーした頃、
そこで彼は担当の週刊少年ジャンプの編集者に
次作はスポーツカーをメインとした漫画を描いてみたいと申し出ました。
ところが編集部ではそんな漫画は今まで出たためしが無い
連載は無理だとの返答でした。
しかし池沢さんは粘り強く交渉し、ワンクールのみ(約3か月)の承諾を得ました。
その頃です、私が池沢さんと初めて出会ったのは。
1975年の暮れ頃。
知り合いの紹介で、車好きの漫画家がいると。
私は杉並の荻窪にあった彼のアトリエ、といってもアパートの一室に
数台のテーブルを並べた質素な部屋に伺いました。
何故か直ぐに意気投合し、横浜のシーサイドに行くよとの約束を
取り付けました。
そこからです、彼にとってもシーサイドにとっても波瀾万丈の時代が
始まったのは。

続く


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