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カウンタックLP500R

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みなさん、おはようございます。

古いファイルの中から面白い画像を紹介します。
私がシーサイドの時に入って来た、カウンタックLP500R とよばれたモデルです。
確か年代は例のブームが終わった1978年ごろだったと思います。
この車が何処で作られたのか、何処の国から輸出されたのか、
私には判りません。
当時、シーサイドモーターとしての輸入業務は松沢三次さんという、社長の
己晴さんのお兄さんが シーサイドトレーディングという別会社を作り
そこで全部の車の仕入れを担当していました。
そのわけで、私など営業部員には仕入れ金額は勿論のこと、
仕入れ先などもほとんど情報が伝わってこなかったのです。
理由は、細かいことを知られると、かなりな金額を抜いて
販売部門のシーサイドモーターに卸していただろうから
都合が悪かったからでしょう。

ですので我々営業には、販売目標金額みたいのが提示され
それをうわまって、お客に売れば褒美をやると、そういうシステムでした。
もっとも今と違い、当時この手の特殊なスポーツカーはどこも輸入などしておらず
シーサイドがほぼ独占的に販売していたので、他社と値段の競合などありませんでした。

すでにノーマルのLP400は新車、中古を入れて30台は輸入販売していたので
(30台と言えば総生産台数の2割です!!)
カウンタック自体は珍しくもありませんでしたが、この車はご覧のとおり
かなり改造されていたため、興味がわきました。
特に眼を惹いたのが、フロントからサイドにかけて流れるようなストライプで
車体色が黒だったため、この白いラインは非常に鮮明に映りました。

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これに似たのがウルフカウンタックと呼ばれた、オートロマンで入れた
みなさんおなじみの車ですが、
この車はそれよりも私はアレンジが気に入りました。
ホイールは当時の定番のBBSホイールで、タイヤはピレリのP7をはいていました。
前後のフェンダーはウルフのようなオーバーフェンダーは無く
後ろのフェンダーを少しだけフレアーさせていましたが、
その控えめなやり方が私には好感が持てました。

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インテリアは特にいじってはおらず、ノーマルのままでした。
問題はLP500R となずけられたこの車のエンジンです。
ノーマルはLP400,その名の通り 4000ccです。
ということは500R では5000ccなのか?
これが当時会社の中でちょっとした議論になりました。

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例の輸入元の三次さんは、そんなの俺にはわかんねーよ と。
そこですでにベテランの?域に達していた私が走らせてみることになりました。
1000ccも違えば加速もかなり違うだろうと。
答えは? 残念ながら普通のLP400と全く一緒。
むしろ少し遅いかなという感じでした。

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オートロマンの ウルフカウンタックにも私は何度も乗りましたが
この車もむしろエンジンが重く、ノーマルよりもかなり遅かったのを
覚えています。
おうおうにして、この手のチューニングカー あるいはそれもどきは
性能を維持するのが難しいものです。

それでも世界に一台しか無いというふれこみで、販売をしたものですから
さっそく名古屋のパチンコ屋さんの社長が
買ってくれました。

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その後なぜか半年もたたずにシーサイドに戻ってきました。
それからです、この車が数奇な運命をたどるのは。

続きは今度。

今日のHPのトップの画像のオレンジ色の365BB,これを撮影したのは
当時、シーサイドが輸入したときに通関をお願いしていた
会社のくさっぱらの保税倉庫。
ネガが反転しているが 出田町という文字が見える。
ここは東神奈川の出田町埠頭という場所だった。
問題はこの365BB.
これはこの後、例の池澤さんに私が売り、
彼がこの車となら ’死んでもいい’ という名セリフを発した車だ。
確かにドイツでしごかれたこの車はエンジンがすこぶる軽くよく廻った。
今、七野さんが持っているよね。

明日、金曜日は365GT/4で大阪に納車に行きます。

プロフィール

CASTEL AUTO

Author:CASTEL AUTO
「子供の頃から純粋に車が大好きだった」

そんな無邪気な少年は自然の成り行きで
1974年、伝説のシーサイドモーターに入社。
49年経った現在も車に対する愛情と情熱は冷めやらぬまま
今日もひたむきに走り続けている。

キャステルオート
鞍 和彦

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