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ヒューマンとは?

皆さん こんにちは。

この間テレビを見ていたら、
例の”槇原くん”が前回捕まった時「俺、運が悪かったんだよね」
と仲間に告げていたとありました。
公には「この度はお騒がせして誠に申し訳有りませんでした」 とか言いながら
本心は「たまたま捕まっちゃって運が悪かったな」 と思う。

例の「エリカ」もそうだけど、捕まったらCMはおろか芸能活動自体が不可能になる。
そんなことは頭の片隅にあるはずなのに、つい快楽を求めて手を出してしまう。
これが人間の浅はかな部分でもあり、心の弱い部分でもある。
賢い人は興味があっても”心を酔わせたい時”には酒で代用する。

では車、それもスポーツカーとは。。。
世間の大部分の人が理解できない、あるいは興味の無い「物体」
日本の中心、東京でも「悪目立ち」するし
そもそも日本人をはじめとするアジアの人種に最近の車は「似合わない」
能面のように薄っぺらい平たい顔に、細い目、鼻も低い
かたや車のほうは、これでもかという程、凹凸が激しく
ガンダムの世界を彷彿とさせるくらい、派手で目立ちすぎ。
言っておくけど、それらは最近のランボルギーニやフェラーリの事。
それらが人に与える影響。
昔は一般的ではなかった麻薬や大麻、あるいはエクスタシーに代表される
合成麻薬。
それらと似ていると思わないか?
つまり「刺激が強すぎ」

しかも売るためには馬力競争しか頭にないのか
400馬力は当たり前、600馬力とかそれ以上
そんなパワーのある車、みんな急にプロレーサーにでもなったのか?
自分の力量をよく考えてみろと言いたい
東名高速を一般車にパッシングを浴びせながら追い越すのが快感とか思うバカには、
富士スピードウェイのストレートをアクセル全開で走り抜け、
1コーナーギリギリでブレーキを踏んで回り込み、
次の100Rコーナーをスライド寸前でコーナリングする位の
腕を磨いてからにしろと、
ちなみに、私が若い時 富士スピードウエイで行われていた
プロダクションカテゴリーのレース、
つまり当時のサニークーペをレース仕様に改造した車だったが
エントリーが約100台、予選カットが50台目まで、
私はいつも40番目位のポジションだった。
自分では旨いと思っていても車の運転は奥が深い。

話は戻る、
今のスポーツカーシーンは、人間の器量を発揮させる道具ではなく
機械の性能を極限まで高めて、しかもそれをだしにして高く売ろうとする
一種の商品
だからボディスタイルも含めて「素人受けするように作る」
つまりユーザーもメーカーも車に甘えすぎ、酔いすぎ

性能は進化しても、文化は2の次、むしろ後退
「まともな大人が求めるスポーツカーの定義、文化とは何か?」
それを再考すべきだろう。
ポルシェの様にレースカーを街乗りギリギリまで改造してユーザーに売ろうとする。
でかいリアーウイング付けて、屋内はロールバーまで入れて
売れれば何でもOK
そんな節操のない商魂が見え見えだ。
街中で模擬レースでもしてほしいのか? と思わざるをえない。

だからこそ60年代、70年代までは文化的に価値がある。
私はそう思う。
理由は、作る側のプライドがエンツォにしてもフェルッチオにしても、しっかりと有ったから。
またそれを受けいれる側も、心構え、ドライブスキルが有ったから。

やはりスポーツカーには、ダサくても良いから「ヒューマニズム」が必要だ。
一般の乗用車には、いくらでもコンピューターを駆使すれば良い。
あるいは電気仕掛けでもよい。
だからこそ、キャブレター付きの車、つまりアナログの車
それらを売る「キャステルオート」に
存在価値が有るのは当然だ。
是非、私が言う意味が分かる人は私に会いに来てちょうだい。
ケーキか、プリンをごちそうする。
楽しく車の話でもしよう。
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プロフィール

CASTEL AUTO

Author:CASTEL AUTO
「子供の頃から純粋に車が大好きだった」

そんな無邪気な少年は自然の成り行きで
1974年、伝説のシーサイドモーターに入社。
49年経った現在も車に対する愛情と情熱は冷めやらぬまま
今日もひたむきに走り続けている。

キャステルオート
鞍 和彦

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