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人を雇うということ

皆さん おはようございます。

今回の連休は行楽地や繁華街に人出が戻ってきている様です。
つまり本来の営業活動再開の一歩を踏み出したと。
人間は何時までも我慢し続けるのは苦痛でしか無いと
誰もが思っているはずです。
昨日、私も地元の中華街を訪れましたが
沢山の人でかなり混雑していました。

ところがカナダから、こんなニュースが飛び込んで来ました。
ラスベガスなどを拠点に世界中で公演していた
あの有名なシルクドソレイユが経営破綻したと。。。
理由は、今回のコロナの影響で公演の殆どがキャンセルになり
大勢のスタッフを雇う事が困難になった為。
その数は「4679人」にも及ぶそう。

公演停止が一月位ならまだしも、それが数ヶ月、
そして今後の見通しが立たないとすれば破産申請もやむを得ない事でしょう。
そうなるとキャストや公演を支えてきた裏方などはどうなる?

解雇されて路頭に迷う。
(まずはそうなる。)

思い起こせば私も昔、シーサイドモーターが倒産した時、
確かに路頭に迷いました。
この言い方には少し語弊があり、
別に普段、歩き慣れている道に迷うわけでなく、
今後の自分の生き方に迷うという意味。

私の場合、簡単に別の会社に雇って貰うか、
あるいはブローカーで喰いつなぐか
その二つに一つの選択でした。
でも世の中には今働いている会社に不満があって、
「辞めたいけど辞めても次の仕事がみつかるか不安だ」
そういう人が多々いる事でしょう。

確かに今は昔と違い、転職を支援する情報アプリもあり
よほど贅沢を言わなければ転職も容易になりました。
けれど立場が経営者の場合は別。
まずは従業員の生活を保障しなければならない。
簡単に言えば、毎月の給料の保証だ。
それが出来ないとなれば、
シルクドソレイユをはじめとする多くの企業や個人商店などは破綻する。
しかも非情な事に、
今までちやほやしていた外野の人達も一斉に背を向け離れていく。
前にも書いたが、
人生の勝ち組、負け組の負けた方に人は寄りつかない。
理由は自分も負の連鎖に引きずられるのが嫌だからだ。

話は少し逸れるがシーサイドモーターの社長だった
「松沢己晴」
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これは最近の元の社屋
1階がショールーム
2階が工場
3階がガレージ
己晴さんは10階に住んでいた。
このビルを建てたことが大きな負債となり倒産に繋がった。
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彼は私の人生の中で唯一尊敬できる人物である。
彼は経営破綻した時、何故か台湾に逃げた。
但し、その頃15人程いた従業員の最後の給料と手当分として
唯一残っていた1台のカウンタックとその書類を私に預けて。

彼は元々普段から贅沢をしない人で、 
(自家用車は持たずゴルフに行く足は会社のホンダ シビック)
自分の資産を増やそうという考えなど全く無かった。

そして数週間後、日本に戻ると私に電話をかけてきて、
ニューグランドホテルにいるから吉野家の牛丼を買ってきてくれと頼んだ。
あの時、狭い部屋で彼と食べた牛丼の味は今でも忘れられない。
次の日からカネを借りていた親しい友人に順次謝りに行き、
普通とは逆に励まされ、当座の生活費を与えられ、
「無理な話だが復活しろ」と言われたそうだ。

つまりそれまでの友人達とのつながり方
親交の度合い
それらが窮地に陥った際、如実に表れる。
私はそれを間近で見ていたから彼は尊敬に値すると思ったわけだ。

話は戻る。
日本で最大、そして一番古いサーカス団
それは 木下大サーカスだそうだ。
歴史は100年以上になると言う。
そこの3代目の団長、木下さんのインタビューを見ていて
この人は「骨がある人」だと思った。

コロナで2月以降、全ての公演が出来ず、
100人いる団員達も毎日、自主練に明け暮れていたそうだ。
けれど一人も解雇せず、絶対に我慢すると彼は述べていた。
その心意気は伝わり
団員達はそれぞれ自分の出来るアルバイトをし、
サーカスで使う 象やライオンなどの飼育費を工面したり
このサーカスを支えるための努力を続けているという。
経営者たるもの従業員を辞めさせるのは簡単。
けれど彼らの生活にとことん責任を持つのは容易ではない。

木下さんのインタビューを見て、ふと 松沢氏を思い出した。
今年の12/27~ 横浜みなとみらいで公演があるという。
是非私も見に行き、一番高いチケットを買おうと思う。
それがライオンや象達の餌代の足しになるならとても嬉しい。
私は動物好きだから。








プロフィール

CASTEL AUTO

Author:CASTEL AUTO
「子供の頃から純粋に車が大好きだった」

そんな無邪気な少年は自然の成り行きで
1974年、伝説のシーサイドモーターに入社。
49年経った現在も車に対する愛情と情熱は冷めやらぬまま
今日もひたむきに走り続けている。

キャステルオート
鞍 和彦

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