皆さん おはようございます。
何故か最近、家の中や工場で小さな蜘蛛をよく見ます。
大概、壁にへばりついていて、いつの間にか居なくなっています。
私が住んでいるマンションの部屋は10階なのですが、
どうやって入って来たのか不思議です。
少し興味が湧いたので調べると、
彼らは大体、初夏に生まれ、その年の冬には死んでいくと。
わずか半年の命です。
中には大型の3~4年生きる蜘蛛もいるそうですが。
彼らの餌は、家の中では蚊やハエ、ダニなど
家の外では小さな昆虫だそうです。
私が驚いたのは、蜘蛛にも心臓があると言うこと。
また、雄、、雌の区別もある。
ある意味、人間と変わらないじゃないのか。
比べて我々人間は、母親のお腹の中で育ち産まれ出てから
周りの介護が無ければ数日で死んでしまう。
自分自身では何一つ出来ない、
出来ることは、「泣くことだけ」それが唯一の存在の証。
そんな、か弱い生き物です。
ところがこの地球上で、もの凄く文明の差、貧富の差があるにせよ
たまたま日本のような「共生の仕組み」がしっかりとしている国に生まれると
仮に母親がいなくても、誰かが育ててくれ
義務教育までは何とか受けられるでしょう。
この文章を読んで頂いている貴方も私もその恩恵を受けた一人です。
多分貴方は40代~50代位?私はもうすぐ70歳。
そんな長い間、毎日、朝昼晩と食事をし、布団か、ベッドで寝ている。
これは「蜘蛛の一生」と比較したらメチャ贅沢な毎日。
ちょうど、現在の世界は、コロナのおかげで行動が制限され
毎日が疑心暗鬼な毎日。
お金持ちが選ぶ、フレンチレストランもサラリーマンの食べる吉野家も
入口には消毒液が置いてあり、食べる時までマスク着用。
よほど蜘蛛のほうが自由でしょう。
だから私達は我々に与えられた「自由とは何か」を再考し、
明日、明後日、来月、来年に備えねばなりません。
赤子ではないけれど、「誰かが助けてくれるだろう」
「誰かが喜びを授けてくれるだろう」とのんきに構えていたら
それは大きな間違いだし期待は外れます。
例えば「俺はフェラーリを持ちたい」
その命題に対して、
「どうやれば持てる様になりますか?」
「どうやれば買える金が出来ますか?」
と聞かれたら貴方はどう答えますか?
我々は多かれ少なかれ、「社会」という名の
「隔離された部屋」に監禁されているのと同じ。
最近のニュースで 香港の自治権利を求める活動家
アグネスさんという可愛い女性が拘束され禁固刑を言い渡された。
皆さんご存じでしょう。
この様に、社会すなわち「国家社会」は常にそこに存在する。
人民を拘束しようとします。
だからこそ毎日、「食べる」「寝る」「糞する」の繰り返しでは無く、
何処に自分の生きる目標を置くか自分が何処に向かうべきなのか
これを思考しなければなりません。
誰もが映画の「スパイダーマン」の様には、なれないのだから。