皆さん こんにちは。
関東は毎日雨ばかり。
早く梅雨が明けて欲しいですね。
さて、前回365BBの記事を書きましたが、
「具体的に何を作業したのか教えて欲しい」というご要望が多数ありました。
今回も生まれて既に50年以上も時間が経っている
(1973年のデリバリー)であれば、ガレージに、しまいっ放しならともかく、
仮に年間2000キロの走行としても10万キロ
相当な数字です。
その間、街中の走行や高速道路の走行もあり、
日本に長くあれば夏の過酷な暑さにも耐え、
冬は冬でオイルが温まるまで時間が必要と
けして楽な環境ではありません。
しかもフェラーリといえど、
まだ製造のラインに於いて自動化は進んでおらず
殆ど手作りの個体でした。
フェラーリが量産化を始めたのは、
1986年以降の「テスタロッサ」からです。
特に1300台も製造した
フロントエンジンの「最終傑作」 365GTB4 デイトナからの
「次世代」フラッグシップとして、
この365BBは重要なポジションを求められました。
曰く、「ライバルのランボルギーニには、絶対に負けられない」
相手がアバンギャルドなデザイン、もしくはコンセプトで戦いを挑むなら
フェラーリとしては、少なくても性能面で勝たなくてはならない。
これが当時の技術陣に課せられた命題でした。
その結果、選んだのが
「水平対向12気筒エンジン」
フェラーリ社は この365BBを皮切りに、
BBシリーズを3車種、次のテスタロッサにも
TR, 512M と3世代も同じレイアウトを採用し、
実に1973年~1996年 512Mの生産終了まで 23年間
このエンジンレイアウトを用い続けました。
最終の512M では排気量を4943ccと拡大もしましたが、
馬力は 365の385馬力から440馬力へと進化しました。
さて、話は初代の365BBに戻ります。
私がシーサイドモーターに入社した翌年の1975年、それはやってきました。
その頃の私は、ようやく2階の工場部品の担当から
1階の「メチャ綺麗なショールーム」に配転されたころ。(1975年の3月から)
嬉しくて毎日車を磨いていました。
ある日、外の雑用から会社に戻ると、
ショールームへ入った所に、
アズーロブルーメタリックの低くて小さい印象の
見慣れないスポーツカーがうずくまっておりました。
ボディ半分にあるプレスラインから下がマットなブラックでしたので、
余計にボディが引き締まって見え精悍でした。
下の車は当時のイメージです。









それまで、ノーズからリヤーカウルまで全て2トーンにするのは
フェラーリのデザインでは初めてで、非常に斬新で新しいイメージでした。
これが当時、まとめて2台新車として日本に到着した 「365BB」
もう一台は赤でしたが、それは私もお世話になり可愛がって頂いた
東京葛飾区にお住まいだった「市川 人生さん」が既に手付けを入れておりました。
この方は、「ポルシェ904」74年の「カレラRS」 そしてミツワで6台入れた
「959」を買うなど、無類のエンスー
初めてフェラーリを手に入れたのが、この365BBでした。
この車は、
当時のモーターファン、カーグラフィックで大きく特集ページで取り上げられました。
さて、人一倍好奇心が旺盛な私。
特に日本に入ったばかりのBBとあれば寝る時間も要らないくらい。
「触って見ていたい」
そんな時間だった事を46年経った今も覚えています。
初めてキーをひねりセルモーターを回したら
フェラーリが 12気筒では初めて採用した
カムシャフトの駆動を、コンベンショナルなチェーンから
ゴム製のコックドベルトに替えたため
それまでのチェーンの機械的なエンジン音とは異なり
まるでモーターの様なサウンド
これはかなりのインパクトでした。
しかし綺麗にウォーミングするのは難しく、
気難しいエンジンだなというのがファーストインプレッション。
それから46年経った今、
今まで40台以上販売してきたので、この車のことは熟知しています。
人にものを教えるには、教える側がどれだけの経験があるか
これが一番大事です。
では今回のBBについて、
当社がどれくらいの加修理を行ったのかお見せしましょう。「論より証拠、話より見るほうが早いし分かりやすい」
これが私の基本の考え方です。
画像の3段目、4段目が新しいデフケース、そしてデフギヤー
これが世界中のフェラーリサービスでも、なかなかできない仕事。
信用できないなら、コーンズに「365BBのデフケース」「デフギヤーの新品」
が手に入るか聞いてみて下さい。
100歩譲って、中古でも手に入れば大したもんです。
これが本当のプロしか出来ないこと
その証明に繋がるという訳です。
現在この車は販売車両です。
今後、フェラーリ社の1970年代のターニングポイントを代表する
車種として、評価が上がることは間違いありません。
是非、お問い合わせください。
2021年7月6日
鞍 和彦