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人生は作る物だ、必然の姿などと言うものは無い

皆さん おはようございます。

今日のタイトルは、昭和初期の評論家「坂口 安吾」の言葉。
この裏を返せば、「人生とは本来、数多くの偶然に包まれている」とも取れる。
それを只の偶然と割り切るか、偶然を必然に置き換える努力をするかで
その後の人生は大きく変わる。

昨日も私の推す、
久々に一軍復帰した横浜ベイスターズの東投手
6回迄は、ほぼパーフェクトのピッチング
三振も沢山取り、零点に相手の強力打線ヤクルトスワローズを押さえていた。
ちなみにセリーグの首位を走るスワローズは、
やはり今までの弱いスワローズでは無かった。
それまで完璧に押さえていたヤクルト打線に簡単にヒットを打たれて
2アウトながら満塁。
その前のバッターを3球三振に討ち取り気が緩んだのか
あるいは後もう一人と力みが出たのか、
不用意に投げた高めのボールを一振りでホームラン。
つまり満塁ホームランを打たれてしまった。
それで4点を取られて降板。

いくらそれまで完璧に押さえていても、
投手の役割とは自分が降板するまで相手打線を押さえること
それを自分の必然としてゲームを作れるのが評価される投手。
厳しい言い方をすれば、
コーナーギリギリのピッチで投げたボールを「偶然にもホームランにされてしまった」

これを偶然打たれたか、打たれたボールはホームランに値するボールだったのか
それを深く考えられる投手は大成する。
だから打たれて当然の様な甘い球を投げてしまうのは未熟な投手。
高校野球なら「残念だったね」で終わるが、プロは文字道理、野球が仕事。
つまり言い訳は許されない。

なので我々の生き方にも多々ある、
「偶然で良いことがあった、偶然? 失敗した」
これを「仕方ない」で済ませていくと、
良い偶然が多ければ人生ラッキーと言えるが、
実際は悪い偶然の方が遙かに多い。
それを賢く、
自分の生き方、日々をコントロールして自分なりの「必然を見いだす」
これを自分の定義とする。
そうすれば、
人生数々ある偶然を自分の必然として良い方向に向けていけるだろう。

私自身も今まで何度も崖っぷちに立たされた。
けれど、それを救ったのは自分自身であり他人では無い。
大事なのは自分を信じること。
簡単に言えば、下を見ないで真っ直ぐ歩くことだ。
立ち止まらず、歩きながら考えるのが大事。 
これが良い方法。

人間歩きながら考えると良い発想が生まれる。
そこが山とか海なら尚更だ。
机に向かって考えるよりも遙かに良い。
私の場合?
深夜ガラ隙きの高速をゆっくり走りながら漆黒の暗闇の中で考える。
それが妙に落ち着くからだ。

kazu 19



プロフィール

CASTEL AUTO

Author:CASTEL AUTO
「子供の頃から純粋に車が大好きだった」

そんな無邪気な少年は自然の成り行きで
1974年、伝説のシーサイドモーターに入社。
49年経った現在も車に対する愛情と情熱は冷めやらぬまま
今日もひたむきに走り続けている。

キャステルオート
鞍 和彦

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