皆さん おはようございます。
ひと昔と言っても約40年前、
1980年頃は誰も見向きもしなかった「Miura」
それが2021年の現代は、
世界相場で2億円以上、SVに至っては3億円以上
フェラーリと比較すると「275GTB」と同じ感覚。
私はシーサイドモーターに入社した1974年の中頃に
初めて現車を目にした。
ビル建設の為、仮社屋の駐車場に轟音と共に現れたミウラは
2階の窓から見ると、とにかく車高が低い。
それが第一印象。
その後、様々な角度からミウラを見る事になるのだが、
現在に至るまで最高に美しいと思う角度は”真横から”
正に芸術品だ。それも史上最高の!!
言って於くが、昨今のコンピューターで作画したフェラーリやランボルは
「血の通っていないロボットと同じ」
それに対して1960~1970年代の車は、
ピニンファリーナのフィオラバンティ
ベルトーネのガンディーニ
イタルデザインのジウジアーロなど
正に天才と呼べる「ヒューマンスーパースター」達が
原画を起こし、才能溢れるスタッフ達がモックアップを作る。
正に「職人技」であった。
だから作られてから50年経った今も尚、
全く「古臭さ」を感じさせない。
むしろ一層の輝きを放っている。
「ミロのヴィーナスと同じレベルだ」と私は車好きを代表して言いたい。
敢えて、その魅力を表現するなら、
ミウラを景色の良い屋外に置き (箱根山頂辺りの)
その前に椅子とテーブルを置いて、
ビールとつまみがあれば、朝から日暮れ時まで
オレンジがかった夕焼けの光を浴びながら表情を変えていく
今世紀最高のイタリア女を眺めていられる。
それは一言でいえば「プライスレス」なのだ。
それがたとえ2億であろうと「金で買えるなら安いもの」そう断言する。
キャステルは幸いにも、
そんな私の「独断と偏見」に思いっきり賛同してくれるお客様に恵まれ、
今年既に4台のミウラを販売してきた。
それもただ販売するだけでなく、
先人達に尊敬の念を払いながら「新車、もしくは新車以上に復元する」
この作業を基本として。
今、キャステルに来れば、もれなく3台のミウラが同時に見られる。
そんな店は日本全国何処にも無い。
是非、勇気と男気のある人は訪ねてくれ。
私は訪れる人が金持ちか、そうで無いかなど関係無い。
むしろ、どれだけ「車愛」があるか、それが大事だ。
全ての物語は ここから始まった。

1965年の チューリンオートショーに出されたフレームとエンジンだけの
まだ車とは言えない個体
当初、周りはランボルギーニがレースカーを作ろうとしているのか?
と思ったそうだ。
あまりにも反響が大きかったので、フェルッチオが生産のGOサインを出し、
ボディデザインをベルトーネに依頼
そこでチーフデザイナー鬼才マルチェロガンディーニが起こした
ラフスケッチが「Miura」と名付けられた。
この名前は フェルッチオの友人でもあった
スペインの「闘牛」の生産牧場のオーナーの名前から取ったとされる。

確かにランボルのフロントエンブレムは 「ファイティングブル」だよね。
話は変わるが、
よく人から「鞍さんはレジェンドですね」と言われるのだが、
それは違う。
私では無く、ミウラなど当時の車達がレジェンドなのだ。
明日もNHKが「1970年代の歴史を振り返る」という趣旨の番組制作に当たり
当社を取材に訪れると言う。
45分の地上波番組で、その内の15分だそうだ。
内容は当時、
シーサイドに押し寄せた子供達がそこで何を考え何を見たのか
時代を遡り検証するという。
其処に関して確かに私は生き証人だ。
けれど私が本当に後世に伝えていきたいことは、
1960年代のまだハイテクなど何も無かった時代、
イタリアのローマ時代からの歴史を車に反映した様な「スポーツカー」
これを作り上げる努力をした人々と、その作品として生まれた数々の名車
それらの今に至る歴史だ。
だから私が今やっている事は、それらの車の「ドクター」
心臓内科、外科、皮膚科 整形外科 全ての項目の主治医
年齢70歳
勤務医から始まり現在は総合病院の医院長
これからも「患者」のために良い仕事をし続ける。
それが私のライフワークだと思っている。
特にディノ、ミウラに関して見てきた患者数、手術を施してきた総数は
間違いなく日本ナンバーワンだ。













タイヤにもこだわって当時の純正装備
「ピレリ チンチュラートCN36」を装着した。
新品で再生産している。
本気でミウラを欲しいと思う方は迷わず当社を訪ねてくれ。
☎ 045-663-4660
もしくは問い合わせメールまで。