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松沢己晴の人生その3

皆さんおはようございます。

シーサイドモーターの新社屋が完成したのが、
1974年の9月の終わり頃。。。という事は、
私は仮社屋に4月から5ヶ月程いたという事になります。
そこで学んだことは沢山ありました。

まず私が一番驚いたこと
それは左ハンドルのデカいアメ車。
当時のアメ車は50年~60年代のデカい
クジラのようなボディを持つ車がまだ存在しており、
例えば、リンカーンのマーク3とか4、
全長は軽く5メートルを超え、幅も2メートル以上でした。
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ある日私は、そのアメ車にガソリンを入れてくるよう言われました。
つまりそれが私の人生初!左ハンドルの運転だったのです。
運転席に座り前を見ると、とてつもなく長いボンネットが広がります。
イグニッションキーをひねるとあっさりとエンジンはかかりました。
意外に小さいステアリングホイールを回すとメチャ軽く回ります。
止まった状態でも殆ど抵抗が無い位に。

私は恐るおそるその長いノーズを前の国道に向けて進みました。
東海道と言われるその国道1号線は2車線。
2キロほど離れたガソリンスタンドに向けて走り始めましたが
慣れない左ハンドル、しかも全幅が2メートルを超す巨大なボディで
道路のどこを自分が走っているのか全然分かりません。
普通は、2車線の左側とかを走るのですが、
その時はとにかくセンターラインを目印にして
堂々と?車線の真ん中を走りました。

今はアメ車でもエコを意識して小型化が進み
アメリカ本国でも、何かのイベントでもない限り、
バカでかいそれらの車達は見られなくなりました。
あるいはミュージアムの中に置かれているかです。
少し残念な気がしますが。。

次に驚いたのが隣の倉庫に入った時です。
そこには私が見たことも無いスポーツカーが所狭しと置いてありました。
入口近くに有ったのが、ポルシェ911、そしてディノ246GT
隣にはイソ グリフォという珍しい車、
その奥には前をぶつけてフロントが持ち上がった状態の
マセラーティ ギブリ
隣にデトマソ パンテーラ、その横にはフェラーリの ディトナ
奥にはランボルギーニ エスパーダなど
10台位の見たことも無いスポーツカーがギッシリ!

その中でも私は藤色のようなペイントのマセラーティ ギブリが一番気にいりました。
ギア時代の鬼才、ジウジアーロがデザインした直線を活かした
ボディデザインは、シンプルだけれども、気品に満ち
とてもエレガントに見えました。
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もう一つ私を惹き付けたのがその内装。
全部と言って良い、本革張りの内装はドアーを開けると
プーンと少しカビ臭いような革の匂いがしました。
それまで私の経験では勿論革張りの車などありません。
世の中にはこんな贅沢な車もあるんだと感銘を受けました。
ちなみにそれから44年経った現在、
私の足車のベンツE55 AMG、SL63 AMG共にフルレザーです。
それが当たり前のように感じる。。
それが慣れというものでしょう。

私は毎日仕事が終わると、その贅沢な空間を体感する為に
動かないギブリの運転席に座っては「瞑想」しました。
こんな車を走らせたら、どんだけ楽しいのだろう?
こんな贅沢なスポーツカーを作る「イタリア」と言う国はどんな国だ?
一つ目の回答は意外と早くやってきました。
会社に入って3か月が経った頃、
そのフロントがぶつかったギブリが修理を終えて戻ってきたのです。
そして「ガソリンを入れて来い」と言うビッグチャンス到来!
当時、新米の私がそんな車を運転できるチャンスなどありませんでした。
ガソリンを入れに行くとき以外は。

松沢己晴の人生その2

皆さんおはようございます。

当社の工場は、幸い最新型のエアコンが取り付けてあるので
従業員はこの暑さでも仕事が出来ます。
しかし、工場を開いた15年くらい前は空調など有りませんでした。
なので、夏は扇風機だけ。
しかし、人間は快適さに慣れてしまうと、
もう以前の様な我慢は出来なくなります。
これは進化ではなく、退化と言うべきでしょう。

車も同様、エアコンガンガンに効かせて車を走らせていると
締め切ったウインドゥから見る周りの人たちとの距離は完全に異なります。
曰く、お前らは暑い日差しの中、汗をかきながら歩く人たち
俺はエアコンが効いた快適な空間で移動できる特権?階級
その代わりエンジンからは大量の熱を周りにまき散らしている。
昔の様にクーラーが無く、車の運転手も窓を開けて汗をかいて運転しているなら
これは歩行者とも平等
つまりテクノロジーが進化した現代は完全に『格差社会」
歩道を歩いていると、よく見かけるエアコンのコンプレッサー
大量の熱を外に向けて放出している。
当社の場合も例外ではない。
何だか歩行者にわざと熱風を浴びせかけてるかの様。
本当に申し訳なく思います。
極論を言えば、金で快適さを買える人だけが快適に過ごせる国
いつのまにか日本はそういう国になりました。

さて、話は44年前に遡ります。
私を面接してくれた樋口さんは、チラッと私の履歴書に目を通すと
「いいよ、明日から来いよ」
と、ぶっきらぼうに言いました。
彼からすれば、どうせ長続きはしないだろう
そう思ったと。

実際、
その後ビルが出来てから何人もの営業希望の人間が会社を訪れました。
新築10階建ての自社ビル、1階は綺麗なイタリアンタイルを敷き詰めたショールーム
その中を飾るのは、ランボルギーニやマセラーティの新車たち
これを見たら誰でもが入社してくるでしょう。
一番多い時で5人くらい営業がおりました。
ただ、その中身は一癖も二癖もありそうな連中ばかり。

例えば貴方がその場にいたとして。。
「どうやって高額なスポーツカーを売りますか?」
しかもまだその頃は、フェラーリでさえ知名度は低く、
ましてやランボルギーニ、マセラーティなど
誰も見たことも無い、知らない時代です。
たまに国産のスポーツカーや、ポルシェ辺りでショールームの前に
車を停める人もいましたが、入口のガラスドアーを開けて
中に入る勇気のある人はごくわずか。
大概、国道沿いの大きなガラス張りのショールームを外から
眺めるだけ。
そんな状態で営業?
なので、新社屋が出来てから入社してきた男達は次々と辞めていきました。
多分彼らは高級スポーツカーを売れば、
高級な収入?が得られるとでも期待したのでしょうが、
現実はそう甘くはありません。

かくいう私も晴れて綺麗なビルのショールームで
華々しく営業マンとしてスタートできるかと思いきや、
営業部長の石橋さんから告げられたのは、
お前は2階の工場で学校で学んだ知識を活かして(航空高専原動機科卒業)
部品の管理をやりなさい。
”ガーン”とショックを受けましたが、へこたれないのが私の取り柄。
何しろ5年の学校を7年もかけて卒業?したくらいです。
しぶしぶ私は1974年10月から出来たばかりの2階の工場で
部品管理の仕事に就きました。

つづく。

松沢己晴の人生

皆さんおはようございます。

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私の人生で最も影響を受け、唯一尊敬できる男
それは、シーサイドモーターの社長だった「松沢己晴」です。
彼は昭和10年生まれで、今生きていたら83歳。
残念ながら、1994年、59歳の若さでフィリピンで亡くなりました。
自分の新天地を求めて、フィリピンの小さな島を購入し
島の王様として生きたのが、
シーサイドが潰れた1980年の翌年から12年余り
まだまだ島での生活をエンジョイし、余生を送りたかったと思います。

最初のレーシングスーツの写真は、千葉県船橋市のレジャーセンターの
横に有った「船橋サーキット」でのワンショット。
このサーキットは小さいコースながらトリッキーなコースレイアウトで
数々の名勝負を産みました。
当時ここを走っていたのは、生澤徹さんをはじめ、浮谷東次郎さん
ワークスのドライバーたち。
己晴さんは、ここでのレースを通じて、沢山の著名人達と知り合ったと言います。
何しろこの頃、車のレースなどは超金持ちしか出来ない事だったからです。
それだけ彼は時代の先を行く、先見の妙と度胸があったのでしょう。

私がシーサイドの門を叩いて、入社したのが1974年の4月
その時、己晴さんはまだ38歳の若さ。
それでもランボルギーニとマセラーティの正規代理店を取り
それにふさわしい自社ビルを建てる(10階建て)という
かなりの冒険をしようとしている時でした。
私が面接に赴いたのは、今も残るビルから戸塚の方に2キロくらい
国道を下った場所。
そこには倉庫があり、その横に2階建ての木造の事務所がありました。

「何故面接を受けたかって?」
航空高専をなんとか卒業したものの、
2回も落第していた私には、まともな就職先は無理。
なので、卒業前からアルバイト三昧
唯一の楽しみは、3畳一間の風呂無しアパートで、
休みの日に見る「カーグラフィック」という月刊誌
ぺらぺらとページをめくっていたら、白黒の広告でしたが
カッコよさげなビルのイラストとともに、

ランボルギーニ マセラーティ 日本総代理店
シーサイドモーター
営業社員若干名募集

と書いてある。
この頃、外車の知識は殆どなし
世間も外車と言えば、フォード、クライスラーなどのアメ車
東京の街中でも、たまにポルシェが走っているのを見るくらいで
フェラーリとかランボルギーニなど実物を見た事は一度もありませんでした。
好奇心が人一倍強い私は、ダメ元でもいいやと、
近くの公衆電話からダイヤルしました。
すると、電話に出た受付のおばさんみたいな人が
担当者と代わるからと言って
電話口に出たのがその後、私の師匠になる樋口営業課長でした。

彼はちょっと面倒くさそうに、「あぁ、そうしたら明日にでも面接に来いよ」
次の日、その頃住んでいた杉並のアパートから電車を乗り継ぎ
1時間半もかけて見つけたのは。。
おおよそ外車のディーラーとは、
とても思えない国道沿いの旧い倉庫のような事務所でした。

ただ私は丁度、一年前の事を記憶しておりました。
学生仲間と小さなホンダの軽自動車で伊豆の海に遊びに行く途中
お金を浮かせるため、高速道路ではなく国道を走っていたら
横浜を通る時、その車は無造作に道沿いに置いてありました。
「ランボルギーニ ヤラマ(JARAMA)」 です。
今まで見たことも無いデザインのそのシルバーの車は、
一瞬で私を引きつけました。 マングスタの時と同じです。

仲間にちょっと待っててくれと伝え、
直ぐに車を歩道に乗り上げ停めると、すぐさま走って見に行きました。
丁度その場所が面接に行ったシーサイドだったのです。
樋口さんは、一見ホストと間違うくらいのアカ抜けた男でした。
痩せていて、身長も高く、なにより小顔で芸能人みたいな感じ
それまで私の人生において、その様な人とは出会ったことが無かったので
「やはり外車の営業マンたるもの、こうでなければ通用しないのか」
そんな風に思いました。

続く






私の車屋人生

皆さんおはようございます。
毎日、酷暑が続きます。
平凡な言い方ですが。。
「昔はこんなに暑かったかな?」

私が18歳で免許を取った昭和44年頃、
確かに真夏は暑い日が当たり前でしたが、
その頃はその自然と向き合う形で前の道路に打ち水をしたり、
タオルを首に巻いたり、家では扇風機を使ったりと
極力”暑さになじもう”と言う気が有ったように思います。

自動車も同様、
エアコンではなくクーラーが付いていたのは一部の高級車だけ。
クラウンとか、セドリックとか、、、、
私が親父にせがんで買ってもらった
トヨタの当時かなり先を行くコンセプトの「セリカ」でさえ、
クーラーはオプション。
しかも内蔵型ではなく、助手席の下に吊り下げるタイプ
今では考えられないですよね。
なので、トラックは勿論のこと、バスもクーラーなど無し
乗客は窓を開けて、団扇を扇いでおりました。

今では大半の家にエアコンがあり、
軽自動車にも標準でエアコンが付いています。
これでは都市部の気温が上昇するのは当たり前。
我々は快適さを求めるあまりに、「自然環境」の破壊、
あるいは浸食を犯しています。

私の扱う車達は、殆どがイタリア生まれの御年40~50歳の高齢車
確かに一部の我儘な金持ちの為に、
フェラーリで言えばディトナ辺りからクーラーはオプションで付いています。
現在当社の在庫車の、365GT 2+2にも標準装備。
けれど1970年と言えば既に48年前。
お宅の家に48年前の家電など有りますか?
いわゆる白物家電と言われる、冷蔵庫、洗濯機などは10年が耐久の目安でしょう。
それでないと家電メーカーは新作が売れなくて潰れます。
けれども一部のお客様は、
「高い金を払うんだから付いてるクーラーを効くようにしてくれ」
これは我々には辛いリクエストです。
コンプレッサーなど本体も消耗している、交換部品も無い、
普通の車屋ならあっさり、
「お客さん、ビンテージカーを持つと言う意味は当時の時代を共有することですぜ」
とのたまう事でしょう。
その通りで正解の理屈です。

しかし、キャステルは違います。
出来る事をするのは、当たり前
出来ないと言われることをするのが本当のプロ。
そう私がスタッフに偉そうに言うものですから、彼らは苦労しながら努力します。
それが当社のプライドであり、モチベーションです。
信じられない方は、1975年製造の フェラーリ365GT4/BB 
そして現在電機周り全部レストア中の 365GT 2+2
こちらのクーラーの効き具合を確かめに来てください。
論より証拠です。
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この写真は私がシーサイドモーターに在籍していた
1977年のもの。
後ろは当時新車で入って来ていた 77年製のファイバーボディを持った
308GTB。
この頃から41年の時間が経っています。
その間、身長は変わりませんが(172センチ)
体重は 58キロから80キロに増えました。笑い
その間、学び、経験を積み、失敗もし、成長?してきました。
そんな長いキャリアを持つ車屋など殆どありません。
是非、私がまだ元気なうちに会社にお越し下さい。
有意義なお話を致します。
これは今年の春、お会いした時の 池沢さんとの2ショット
彼と初めて会ったのは、1975年、今から43年前
直ぐに意気投合して多数の車を買って頂きました。
マセラティ メラックから始まり、365BB カウンタックLP400S
348GTB, テスタロッサ など。
彼が私の一つ上、来月68歳です。
お互い元気で何よりと思います。
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自然災害

皆さんこんにちは。

今回の西日本地方を襲った豪雨は甚大な被害をもたらしました。
自宅に居て亡くなられた方が多数いるとの事。
今更ながら私のように都会に?住む人間と、
地方の自然に囲まれて住む方との生活環境の違いに唖然とさせられます。

私が住んでいるのは横浜でも中心部、
けれども見渡せば小さな川や、その支流が無数にある。
また、自然災害と言えばやはり一番怖いのは地震。
それによる津波が万が一発生したら、
幾ら頑丈な堤防でも役には立たないでしょう。

しかも東京は、周りの周辺都市からの「出稼ぎの街」
毎朝混んでる通勤電車で職場に通うわけです。
でもつい先日、それほど大きくは無い地震の際でも、
電車が全部止まり、「通勤難民」という言葉が聞かれました。

このように我々は普段は
”朝日が昇り、夕刻になると日が沈む”
これが普通で当たり前だという感覚で生きています。
たまに違う人もいるやもしれませんが。
なので、予期せぬ災害が起こると慌てふためく。
悲しい人間の性です。

では普段どのような心がけが必要なのか?
万が一の時にも後悔しない生き方とは?
答えは簡単
「日々、やりたいことをやる」
「欲しいものを買う」
5年後、ましてや10年後のことなど考えるな
それが出来ない場合、
そうできるような人生を求める

これは貴方にとって難しいことですか?
これを書いている私にとっては、66歳の今まで特段の苦労はありませんでした。
私の言葉を自分なりに解釈してください。
毎日やりたいことをやる、
これは毎日遊べと言う意味ではありません。
むしろ逆で毎日やりたい仕事をやる
この意味です。
やりたい仕事? それを選ぶのは貴方の責任。
次の欲しいものを買う
これも当然自分の財布の中のお金で買えるものを買う
借金してまで買うと言う意味ではありません。
つまり自分の力量を正確に把握して、置かれた立場と対峙する
これが基本です。

毎日ボケっと過ごさないで頭を使って自分を顧みる
1年後では無く、明日か、週末くらいまでに出来ることを。
これを繰り返えせば1年を過ぎた頃には
貴方は立派な
「人生マイスター」になれます。

自分の人生は自分で進路を決め、自分でその目標に向かって歩む
これしかないと断言します。
貴方も是非「人生マイスター」になりましょう。
もし私と話をしたいという方がいらっしゃいましたらいつでもお越しください。
66年間、朝昼晩と思考を巡らせ、その試行錯誤から生まれた知恵の集大成が
あなたの心のもやもやを晴らすキッカケになれば幸いです。

キャステルオート 社長
鞍 和彦
来月8月19日の誕生日で67歳になります。
今、自分がそんな年齢になっていることを不思議に感じます。







プロフィール

Castelauto

Author:Castelauto
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