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パンテラは何で楽しい車なのか?

皆さんおはようございます。

私が扱うスポーツカーは全て趣味の車。
まさか通勤に使おうと言う人はいないだろう。
だったら、それに求めるものは何?

1、走らせて楽しいこと これは絶対条件

2、停めて眺めても満足する美しさがあるか?
  車は運転している時は自分の車のスタイルは見えない
  だから私は商店街をそれらの車で通る時、
  大きなガラスに映る車と自分を眺める、それが好きだ。
  勿論、その車がカッコよいほど満足する

3、買う時に自分の財布の中身に負担が出来るだけ少ない物
  当たり前だが、この手の車はトラックなどと違い生産性は無い
  あくまで個人の楽しみの対象
  なので周りの反対の声も当然大きくなる。
  特に財布の実権を握っているのが、ワイフの場合はそれが顕著だ。

4、最後は本来言いたくない言葉だが(車を販売する側として)
  年数が経っても市場の評価、簡単に言えば価値が出来るだけ下がらない車
  それがベストだ。
  ただ、この手のスポーツカーは金融商品ではないと言う事を強く示唆する
  株式や先物取引
  それらは投資することによって利益を目標とするだろう、その為の商品だ。
  ただ、株の証券を眺めて楽しいか? タダの紙切れだろう。
  ここのところ、世界相場の値上がりによって、
  この手のヴィンテージスポーツカーが高値を付けてきた。
  勿論それを支えたのはオイルマネーなどの投資ファンド
  だから自分の車も買った値段の倍近くで売れる?
  アホな事を考えるな、つまり欲をかくなと言いたい。
  金を儲けたいなら自分の本業でやれと。
  
  時計でも仮に人気ナンバーワンのロレックスでも必ず償却は起きる
  それが商売の鉄則。
  商人は物を売り、お客に楽しんでもらい、その分金銭的な償却をしてもらい
  それを中古品、あるいはユーズドとして引き取る
  そこに新たな販売利益を乗せて再販する
  これが当たり前のサイクルだ。
  つまり売る側もお客もお互いにモラルを持とうという事。

  その観点で言うと今回のパンテラは作られたのが1970年 既に48年も経過している
  けれどそのエンジンの迫力、キャブレターでないと出せない排気音、
  強大なトルクによる加速の迫力
  これらは今を持ってしても「衰え」が全くない。
  むしろデジタルサウンドが全盛の今、ノスタルジックなアナログの音
  極めつけは誰でもが簡単には操作できない、
  マニュアルのトランスミッションとクラッチ操作。
  これに慣れて完璧に扱う事がスポーツカー趣味の醍醐味だ。
  今時のパドルシフトのスポーツカーなど女子でも運転できる。
  つまり、どうせこういう趣味を持つなら、「道を究めろ」ということ。
  必要なら私が教習所の教官ではないが、正しい運転の方法をレクチャーする。

今回の1~4 それらを全て備えているのが「パンテラ」というわけ。
是非貴方の眼で、カラダで感じて欲しい。
試乗の予約問い合わせは 045-663-4660 フロント しのもとまで。

貴方はその迫力に絶対に驚くだろう。 私が保証する。


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インスタグラム

皆さんおはようございます。

キャステルは基本的に海外との交流を大事に見ています。
アメリカは勿論、ドイツ、イタリア、イギリスなど。
その理由は、当社の扱う車がワールドワイドの品物であるから。
この島国である日本に、今まで私はその手の車を数多く輸入してきました。
気持ちよく売ってくれた相手の方々には、感謝に絶えません。
その返礼の意味でもないのですが、
日本にある、しかもキャステルで扱う、
スポーツカーの数々を全世界の車好きの皆さんに見て頂きたい
そういう考えで、インスタグラムをアップしています。
そのアカウントは、
castelautojapan

まだアップ数は(特に動画は)少ないのですが、
「ミウラのスタートアップ」「雨のミウラ」 などは、かなりの閲覧を得ました。
是非ご覧ください。
インスタグラムの特徴である動画時間は約60秒ですが
今後も出来る限り、増やしていきたいと思います。
現在、ミウラ、カウンタック、マングスタなどの動画を入れてあります。

近々「デトマソ ウィーク」と称して
当社のマングスタ、パンテーラの展示公開をするつもりです。
メンテナンスが楽で、しかも価格がリーズナブル
けれどインパクトは大きい
是非、ご自分の眼で確かめて頂きたいと思います。
現在、このマングスタも含めて、
シルバーとブルーのパンテーラ2台も在庫しています。

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人生色々、車は生き方を写す鏡

皆さんおはようございます。
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私の隣にいらっしゃるのが Yさん。
日本3号車のファーストオーナーです。
時は1976年、まだ世間の子供達には「カウンタック」の名前も知られていない頃。
この頃ランボルギーニの新車、しかもまだ世に出たばかり、
日本では3台目のイタリア製スーパースポーツカーを
買うという意味は、金額の差異はあるけれど、今ならマクラーレンの新車、
フェラーリの高級モデル、勿論ランボルギーニの最新型
それらをまとめて一度に買うくらいのインパクト、情熱が必要でした。

ランボルギーニ?
子供のオモチャみたいなもんだろ、、、
そんなセリフを吐く位の男だけしか手に入れられないもの
だから現代の誰もがお金をディーラーに持っていけば、
セールスが腰を低くして出迎える、
そういう時代、そういう車では無かったわけです。

事実、第一号車は、原宿の正に一等地を所有していた
「安田 銀二さん」
彼は己晴さんなどと同期で、
ジャガーEタイプなどで「レース遊び」をしていた位の超がつく金持ち。
今回のYさんもカウンタックの前には「ミウラSV」を乗り回し
新宿、千葉で数件のキャバレーを経営しておりました。
歌舞伎町のお店は在籍したタレントが100名を超えたそう。
しかし純朴な人柄で私は直ぐに親しくなりました。
納車したのは76年の秋頃、
その頃に例のブームが少しずつ日本全国に浸透し始めており
カウンタックも子供たちのヒーローになりつつありました。
その後は皆さんもよくご存じのとおり。

ところが人生も商売も順風満帆とはなかなか行きません。
スーパーカーブームがあっという間に過ぎ去ると、
会社のショールームにあれほど駆け付けていた子供達の姿も消え
会社の経営も厳しさを増しました。
元々ただの平屋の地べたに車を並べる程度の商売であったのに
突然そこへ10階建ての自社ビルを建てるとは、
もし まともな経営コンサルタントでもついていたら絶対に反対されていたはず
その意味は新社屋を建てた時から経営は綱渡り、
やはり人間には分相応の生活 手掛ける商売の規模、
また将来を見据える賢い判断力
これらが無いと必ずと言って良いほど「いつか倒れる」
会社組織で言えば「倒産する」
これを私もシーサイドで身を持って体験しました。

図らずもYさんも無理な経営規模の拡大が裏目に出て、
しかも景気は低迷、
こらえきれずに趣味の車、「カウンタック」を手放すことになりました。
シーサイドが潰れる前年1979年頃です。
まだ走行距離は2000キロでした。
さぞかし無念だったと思い、今回尋ねたところ、
「いやそうでもない、むしろ商売をどうするかで頭が一杯だった」と。
やはり趣味の車という物、人生の励みにもなり、失くすと寂しさを感じる
その人の人生を綾どる大切なものの様に思います。

貴方にとって自分の人生に大きな影響を与えた人、或いは物はありますか?
私はそれが当社で扱う車であったなら、非常に嬉しく思います。

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その後、この3号車は私が3人のオーナー全てを扱い、
現在は、埼玉の三郷で塗装業を営む、関口さんが
5人目のオーナーとして所有しています。
奇しくも彼は私の出た葛飾の中学校の後輩です。
人生いろいろ、車の変遷もいろいろです。
私はYさんがお元気で、私を訪ねてくれた事がとても嬉しく思いました。





カウンタックの存在感、今と昔

皆さんおはようございます。

1975年当時、ランボルギーニ社は経営難に苦しみ、
潤沢な資金力はありませんでした。
元々、
創業者のフェルッチオ
は、
どうしてもスポーツカーメーカーのオーナーになりたいと思ってこの会社を作ったのではなく
本業のトラクターや、エアコンの事業が順調だったので
車のビジネスに手を出したと。
これは本当かどうか分かりませんが、彼へのインタビューや、
当時のイタリアの産業の流れからすると、おおむね当たっているようです。
エンツォのように若いころからレーシングドライバーを目指し
スポーツカーを走らせるのが大好きで、
しかもカーレース、それも頂点のF1 に憧れ
自分の名を課したレースカーを走らせることに強い情熱を持ったのと比べて
フェルッチオはどこかビジネスマン特有のクールさが見えます。

その証拠に自動車メーカーを維持していくことの厄介さ、
大変さが身に染みると、今でいうM&A つまり企業ごと売却する道を選びます。
その低迷期が丁度このカウンタックLP400を生産し始めた頃。
ミウラは量産には向かず、ベルトーネのおかげで
時代を先駆けするボディを身に纏った「カウンタック」 (※海外ではcountach=クンタッシと発音。)
イタリア、ピエモンテ地方の表現で「すげー」とか驚いたときに発する言葉
をなんとか市販車まで作り上げましたが、
とにかく量産車には、とても不向きな整備性の悪さ
ミウラはご存知のように前後のカウルが大きく開き
取り外しも容易

比べてカウンタックは、クラッチ交換でも、エンジンを車体から降ろさずにはできず
それもフレームをバードケージ(鳥の巣)と呼ばれる無数の細いパイプで作ったものだから
エンジンを降ろすのも一苦労
1号車の黒が直ぐにクラッチを滑らせ、修理しなければならなくなったとき
メーカーに問い合わせても、回答が来ない
しかもこのエンジン、ミッションが普通とは逆向きに前方にミッションを
積んでいるため、当時のメカたちは頭を抱えました。
ようやくエンジンを斜めに吊り上げ、その上でボディをスライドさせるという
知恵の輪みたいな回答にたどり着くまで結構な時間がかかりました。

なので思ったほど(ミウラと比べて)販売は伸びず
結局、僅か150台の生産でファーストモデル LP400は幕を閉じました。
フェルッチオの後を継いだ経営陣がなんとか会社の生き延びる道を模索して
派手好みのアメリカ人をターゲットに、デカいウィング、太いタイヤホイール
それに伴うオーバーフェンダー、フロントスポイラーを纏った 400S を
発信させ、次いで排気量を拡大した LP500,
次にようやくエンジンに手を入れ、4バルブ、ダウンドラフトキャブを採用した
LP500 クワトロバルブ を作り上げました。
そして最後は25周年の記念モデルとして、「アニバーサリー」
これがカウンタックの始まりから終わりまで。

私が在籍していたシーサイドは、最初期のLP400を新車で12~13台ほど
400Sを1台(池沢さんに買ってもらった)
これが全部です。
もっとも例のスーパーカーブームが起こると、
子供たちに一番人気だったカウンタックを商売目的で中古車として
ヨーロッパからかなりの台数を沢山の業者が輸入しました。

よく聞かれる質問
「ミウラとカウンタックどちらが速いですか?」
答えはカウンタック。
但し加速が良いわけでなく最高速時の安定性が良いと言う意味。
それも250キロまで。 かたやミウラは死ぬ気で180キロ
加速はミウラの方が全然良い、カウンタックはメチャ遅い
クワトロになって、ようやくマシになる。

「どちらが飽きないか?」
毎日見てる私の立場で言えば
断然ミウラ。
カウンタックは見てると飽きる。 オーナーには悪いけど。

但しこれらは発売当時から40年以上経った今だから言える事
正確には43年前では、何て凄い車が世の中に出現したんだ、、、
と言う驚きのみ。
それこそ「カウンタック!!」
だったのだ。


社会現象にまでなったスーパーカーブーム

皆さんおはようございます。

例のブームの始まりは、皆さんがよくご存じの
池沢さんが描いた「サーキットの狼」に端を発します。
1976年頃、外国製のスポーツカーと言えば
ポルシェが主流で、その他はせいぜいロータス、
アメ車のコルベットもありましたが一部のモノ好きのみ。
つまりイタリア製のスポーツカー
フェラーリ、ランボルギーニ、マセラーティなどは
自動車月刊誌、カーグラフィックなどで見ても
実物など全くお目にかかれない時代。
たまたまシーサイドモーターは、社長「松沢己晴、その兄の美次兄弟」の
先見性?の賜物で、
当時誰も手掛けていなかったそれらを輸入販売しようとしました。
しかも大胆にもランボルギーニ、マセラーティ、二つのメーカーの
日本総代理店を取得と言う偉業?を成し遂げました。
己晴さんは勢いで、フェラーリの代理店をも取ろうとしましたが
当時極東アジア地区の強い権限を持っていた
イギリスの「マラネロコンセショナリー」の代表ホーン大佐が
ランボルギーニと同じくディーラー権を与えるのに異議を唱え実現しませんでした。
まだ、当時は香港の海運保険業が主であった、「コーンズ」が
フェラーリとの代理店契約を所得する数年前の話です。
それだけ松沢兄弟は、新しい物へのチャレンジスピリットがあったと
いう事でしょう。

一方、池澤さんは無類の車好き
サーキットの狼の前作 「嵐三匹」が終了し、次作のアイデアを練っていました。
自身はロータスヨーロッパ、ディノ、トヨタ2000GTと乗りついで、
新車のポルシェ930ターボをミツワにオーダーした頃、
そこで彼は担当の週刊少年ジャンプの編集者に
次作はスポーツカーをメインとした漫画を描いてみたいと申し出ました。
ところが編集部ではそんな漫画は今まで出たためしが無い
連載は無理だとの返答でした。
しかし池沢さんは粘り強く交渉し、ワンクールのみ(約3か月)の承諾を得ました。
その頃です、私が池沢さんと初めて出会ったのは。
1975年の暮れ頃。
知り合いの紹介で、車好きの漫画家がいると。
私は杉並の荻窪にあった彼のアトリエ、といってもアパートの一室に
数台のテーブルを並べた質素な部屋に伺いました。
何故か直ぐに意気投合し、横浜のシーサイドに行くよとの約束を
取り付けました。
そこからです、彼にとってもシーサイドにとっても波瀾万丈の時代が
始まったのは。

続く


プロフィール

Castelauto

Author:Castelauto
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